岡崎宿


岡崎城下二十七曲り

岡崎市

江戸時代岡崎城下を通る東海道は、城郭守備
のため、通称二十七曲りと呼ばれる屈折の多い
道となっていました。この二十七曲りは、西は矢
作橋から松葉総門を出て伝馬町から両町、投町
に至る道筋をさします。二十七曲りの一部は、戦災
復興の道路整備などにより失われはしたものの、
現在でもその跡をたどることができます。
この歴史の道を残すために、城下二十七曲り
の西口近くの当所に道案内の石碑を建立します。








岡崎城
岡崎城

岡崎城下東海道二十七曲り






唐弓弦の看板




専福寺

岡崎市祐金町

専福寺
寺の旧記には、もと木町大手口(今の材木町)
にあったと書かれています。その後の住職祐欽
は、家康が岡崎城にいたころ親交があり、一向
一揆の時、家康に和議をすすめて怒りをかい、
この地を去りました。石川数正の母・芳春院が
家康歎願して、1580年ごろ再興されたと言わ
れています。東海道が寺の北を通るなど、交通
の要衝に位置しており、敵を防ぐ拠点ともなって
いたことが、高い鼓楼などからうかがえます。


戻る