お市の方・フォトストーリー


1546年、誕生。織田信長の妹。           


福井市

浅井長政とお市の方

滋賀県東浅井郡湖北町・河毛駅前

1567年、浅井長政と結婚。              

浅井長政・お市一家

お市の里・滋賀県東浅井郡浅井町

1570年、織田信長は、浅井氏の了解なく朝倉氏を
攻めないという誓約を破り、朝倉氏への攻略開始。
怒った長政は、朝倉と謀って信長を挟み討ちする。

姉川古戦場
姉川古戦場

姉川古戦場
滋賀県東浅井郡浅井町
1570年、姉川の戦い。(織田信長・徳川家康連合軍
        と浅井長政・朝倉義景連合軍の戦い。)

お市の方の「小豆袋」ゆかりの地

福井県敦賀市

浅井長政自刃之地
浅井長政自刃之地
小谷城・赤尾屋敷跡にて
滋賀県東浅井郡湖北町伊部

1573年、信長は朝倉義景を倒すと、すぐに小谷城を
攻略。浅井長政、自刃。     
お市の方、茶々(6歳)、初(4歳)、小督(2歳)の4人は信長
によって庇護される。長男・万福丸は殺害。次男・万寿丸
は僧侶に。この時、お市の方は生きることを選ぶ。


この年、豊臣秀吉は、浅井氏の旧領を与えられ、今浜
を長浜に、小谷城を廃して長浜城を築城。       



本能寺址
本能寺址
(京都市中京区元本能寺南町)
1582年6月2日、本能寺の変で、兄・信長没す。


山崎合戦之地
山崎合戦之地
京都府乙訓郡大山崎町
1582年6月13日秀吉、山崎の戦いで光秀を破る。

清洲城
清洲城
愛知県西春日井郡清洲町
1582年6月27日清洲会議。             
豊臣秀吉と柴田勝家の対立を引き出す。
1582年夏頃お市の方は、柴田勝家と再婚。    

柴田勝家

福井市

この時、茶々は16歳。           
(再婚時期は、清洲会議の後が通説。その他にも
小谷城落城の直後、清洲会議の直前とか諸説
ある。)                        
通説通り、清洲会議の後に再婚したとなれば、お市の
方は、豊臣秀吉ではなく、柴田勝家に人生をかけたと
言えるのではないだろうか。               
16歳の茶々は、母の思いをどのように受け止めてい
たのだろうか。                       

柴田勝家像
柴田勝家像
滋賀県伊香郡木之本町
1583年、賤ヶ岳の戦いに敗れる。           

1583年4月24日、柴田勝家・お市の方、自刃。
茶々(16歳)、初(14歳)、小督(12歳)の
3人の娘は豊臣秀吉によって庇護される。
この時、お市の方は死を選んでいる。



滋賀県伊香郡木之本町

勝家の辞世の句
夏の夜の 夢路はかなき あとの各を
 雲井にあげよ 山ほととぎす

お市の方の辞世の句
さらぬだに うちぬる程も 夏の夜の
 わかれを誘う ほととぎすかな


福井市

柴田勝家・お市の方の墓

福井市(西光寺)

柴田勝家とお市の方の墓
慶長年間山中山代の守長俊の創建によるもので、
勝家・お市の方・勝景(勝家の甥で丸岡城城主)
及び勝家の一子孫次郎の墓が合祀されている。

2度の結婚と2度の落城経験。              
そして、お市の方は、戦国時代の悲惨な女性の代表と
なった。                            

その後、3人の娘は、長女は淀殿(豊臣秀頼の生母)
となる於茶々、京極高次の正室となる於初、徳川秀忠の
正室となる於江(徳川家光の生母)である。      
浅井家の血脈は、娘達を通して、豊臣・徳川へと流れ込
むのである。                           
と言うことは、織田家の血脈は、於市の方と娘達を通し
て、豊臣・徳川へ流れ込んだということか。      

家族(長政とお市)



滋賀県

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