太田牛一


成願寺

名古屋市北区成願寺

尾張国春日井郡山田荘安食村(現名古屋市北区)
に生れる。太田牛一、信長に仕える前に、常観寺
(現在の成願寺)で修行。柴田勝家に仕えるが、後、
信長の家臣に。本能寺の変後、丹羽長秀、豊臣秀吉
の家臣となる。信長の一代記「信長公記」で有名。



太田牛一の視点から本能寺の変をめぐる
様々な謎の解明を試みた意欲作。

1553年7月18日   安食の戦い。
清洲の織田軍と安食の成願寺前で戦う。信長勢の
中に柴田勝家・太田牛一が加わる。織田軍の勝利。




成願寺
慈眼山と号す天台宗の寺院である。天平17年(745)
僧行基の創建といわれ、安食・山田両氏菩提寺で
あった。初め安食荘の荘官安食重頼の法号にちな
んで常観寺といったが、鎌倉時代の武将・山田重忠
が再建したとき、今の寺号に改めた。寺は、昭和8年
の矢田川改修に伴いこの地に移された。寺伝に
行基作と伝えられる本尊木造十一面観世音菩薩
立像は、平安時代の作とされ、市内で最も古いもの
の一つで名古屋市の有形文化財に指定されている。



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