大阪城
大阪市中央区大阪城
大阪城
明応5年(1496)の秋、浄土真宗の蓮如上人が今の
大阪城付近の一宇の坊舎を営んだ。この坊舎はやが
て大阪本願寺(石山本願寺)と呼ばれる大寺院に成
長し、折からの戦国の世にあって大いに権勢を奮った
が、やがて台頭してきた織田信長のために天正8年
(1580)陥落してしまった。
ところが、まのなく信長は本能寺の変で自刃してしまい、
その後を継いだ豊臣秀吉が新たに大阪に手を入れ、
本願寺跡に入るが天正11年(1583)、天下統一をね
らう秀吉は新たに大規模な築城工事に着手、やがて
三国無双と評される豪壮な城郭を完成させた。しかし、
この城も秀吉の死後17年を経た慶長20年=元和元年
(1615)、大阪夏の陣の兵火にかかって全焼してしま
った。
夏の陣後、大阪は一時松平忠明の領するところとなっ
たが、将軍秀忠は間もなく直轄地とし、元和6年(1620)
から大阪城の大規模な修築工事を開始させた。
この工事は10年の歳月を経て寛永6年(1629)に完成し
たが、わずか36年後、落雷のため天守が焼失し、以後
江戸時代を通じて天守は再建されなかった。幕末に至り、
町人の御用金で大手多聞櫓の再建をはじめ大修復が
行われたが、明治維新の動乱で多くの建造物を焼失した。
(パンフより)
豊臣秀頼 淀殿ら自刃の地
大阪市中央区大阪城
蛸石
蛸石と呼ばれる城内第1位の巨石、およそ36畳敷
(60u)推定重量130t。
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