大給松平家


大給城

豊田市大内町城下



大給城址


大給城址は、西方眼下に九久平の集落を見下ろす
標高204mの急峻な山上に築かれている。九久平は
足助街道と新城街道との交差点であると同時に、巴川
の水運と陸上輸送との中継点でもあるとあるという交通
の要衝でもあった。本城は、もと土豪長坂新左衛門の
城であったが、岩津(岡崎市)に進出した松平宗家3代
の信光が攻略し、三男親忠(松平宗家4代)に与えた。
親忠は細川城(岡崎市)とともにこれを次男乗元に
譲り、乗元が大給松平氏の初代となった。大給松平
2代乗正は永正2年(1510)までに城の大改修を行った。
以後、乗勝、親乗、真乗、と続き、天正18年(1590)
6代家乗のとき徳川家康の関東への国替えに伴って
上野国(現、群馬県)に移り、大給城は廃城となった。





松平乗元の墓


松平乗元は文安3年(1446)に岩津で生まれた。
父は徳川家の先祖松平氏第4代の松平親忠である。
幼名を源四郎、後に左近と言い加賀守に任じられた。
応仁文明の頃、祖父松平信光が大給城を攻略した時、
父、親忠の命によってこの城を守り近隣を平定して
細川城もおさめた。以来子孫5代ここを居城と
したので、大給松平と言われ、乗元を始祖とした。
この廟所は文政天保の頃できたものであるが、
菩提寺は岡崎市細川町の松明院である。



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