小督


                                佐治与九郎一成
                      

                      一成は信長の姪・達子を妻とするが、離婚。
                      信長の死後、小牧・長久手の戦いで織田信雄を擁立
                      した徳川家康に味方したため一成は秀吉から所領を
                      没収されるとともに、離縁させられた。
                      その後、達子は豊臣秀吉の養子となった秀勝と結婚。

                                  大野城
                      
                                常滑市金山字桜谷

                                萩原城
                                  

                      
                      愛知県一宮市萩原町萩原町字御茶屋・NTT萩原辺り
 
                      豊臣秀吉の姉婿・三好吉房の居城で、後に秀吉の
                      養子となる秀次の父である。
                      この城で、豊臣秀勝と豊臣秀保が生まれた。
                      豊臣秀勝は秀吉の養子となり、秀勝は淀君の妹達子
                      と結婚し、豊臣完子が生まれる。
                      秀勝の死後、達子(お江与)は、徳川秀忠に嫁ぎ、
                      三代将軍家光を生む。
                      さらに、豊臣完子は後に九条家に嫁ぎ、子孫を残す。
                      大正天皇の皇后・九条節子は昭和天皇を生んでいる。

                                家族(長政とお市)
                       

                       
                                     滋賀県

                             崇源夫人五輪石塔
                       
                                    高野山

                       奥の院墓石群の中で最も大きいことから「一番石」
                       の名でひろく知られている。(総長6.6m)駿河大納言
                       忠長が慈母崇源院の追善供養塔である。崇源院は
                       徳川二代将軍秀忠の妻であり、浅井長政とお市の方
                       の娘、淀君の妹にあたる。寛永3年(1626)、54歳で
                       この世を去った。

                               徳川将軍墓所
                       
                                東京都港区芝公園4

                       

                                  徳川将軍墓所
                       戦災に遇うまで、増上寺の南側に二代将軍秀忠、
                       北側に六代家宣、七代家継などの御霊屋があった。
                       これらは当時の建築技術の粋を結集したもので、
                       各々国宝の指定を受けていたが、現在は入口の
                       「鋳抜門」と二代将軍宝塔にその面影を残してい
                       るに過ぎない。将軍のほかには、静寛院(和宮、
                       家茂の御台所)、崇源院(家光の母、お江与)、
                       桂昌院(綱吉の母・お玉)などが合葬されている。


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