小笠原権之丞


(ごんのじょう)
徳川家康の隠し子の一人とされる。洗礼名ディエゴ。
家康の手がついた母が懐妊したまま家臣の
小笠原広朝の妻となったため、広朝の子として成長。
家康のキリシタン禁令に逆らって棄教しなかったため
改易。大坂の陣では豊臣方として参戦。
夏の陣で戦死したとされる。

小笠原広朝
広重の次男。信元の弟。

寺部城

西尾市寺部町城越






小笠原定政が早川三郎をやぶって寺部城主となり、
以後、小笠原氏(定政-広政-広重-信元-信重)の
城主となりました。
小笠原諸島は、文禄2年(1592)に一族の小笠原貞頼
が発見したことに因んで名付けられたと言われる。
(貞頼の実在性を疑う説もある)

小笠原氏
三河時代は、徳川の船手衆として活躍。
天正18年(1590)関東移封にあたっては、上
総の国周准郡(房総半島富津崎)の領地をたまわり、
江戸湾を守る御船手をつとめる。



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