織田有楽斎


                            如庵
                  
                      愛知県犬山市御門先1番地(有楽苑)

                  織田有楽斎(1547〜1621)は信長の実弟で茶の湯
                  の創成期に尾張国が生んだ大茶匠であり、その生涯
                  は波瀾に富んでいた。有楽は晩年、武家を棄て京都
                  建仁寺の正伝院を隠棲の地とした。
                  如庵はその境内に元和4年(1618)ころ建てた茶室
                  であり、現存する国宝茶席三名席の一つとして茶道
                  史上貴重な遺構である。旧正伝院は如庵に連なる
                  隠居所であり重要文化財に指定されている。
                  明治以降、これらの遺構は各地を転々としたが、よう
                  やく有楽の生まれ故郷に帰りつき、安住の地を犬山に
                  得て、「有楽苑」と名づけ後世に残すことになった。

                                       (パンフより)


                           有楽好み井筒
                  
                             有楽苑
                  元和元年九月ニ日有楽の銘あり。

                            大草城
                  
                            愛知県知多市大草

                  大草城は、織田信長の弟で、後に茶人としても名を
                  挙げた源吾長益(有楽斎)が、築城しようとして途中
                  で断念した”幻の城”である。
                  矢田川とその支流からなる大野谷(現知多市の南部
                  と常滑市の北部地域)を拝領していた長益は、大草の
                  地に城を築き始めた。
                  しかし、天正10年(1582)に本能寺の変で信長が暗殺
                  され、長益も天正12年(1584)の長久手の合戦後、
                  しばらく秀吉に仕え、摂津国味舌(現大阪府三島郡三
                  島町)に転封された。このため地形などの普請が大体
                  終わったところで放棄され、廃城となり、幻の城と呼ば
                  れるようになった。
                  ともあれ、西は伊勢湾が迫り、南は矢田川、東は神田
                  川が流れ、それぞれ外堀の役目を果たし、なかなかの
                  要害の構えであった。
                  現在、大草城址は、本丸、二の丸と周囲の一塁、堀の
                  大部分がほぼ完全な形で残っており、このような城址
                  は、愛知県下でも数が少ない。このように保存状態が
                  よいのは、尾張藩の徳川義直、光友に仕えた重臣・山
                  澄淡路守英龍が大草を給知され、寛文6年(1666)に
                  城址の西南方に屋敷を構えるなど、歴代の支配者が
                  保存に力を注いだためである。
                  市では、こうした歴史的価値をとどめる城址をさらに
                  保存、広く市民にも憩いの場として開放するため、
                  大草公園として整備、本丸跡に天守閣を模した展望台
                  を設置したり、二の丸跡に散歩道を設けている。
                  施設の保全と管理が行われている

                          大草城からの眺め
                  



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