織田信成
彼の祖先は、16世紀に戦国時代を鎮め、
天下統一目前で夢破れた最も有名な
武将・織田信長。信長7男・信高の家系で、
信長から数えて17代目だ。
織田信長の首塚
西山本門寺
静岡県富士郡芝川町西山
下馬札に由緒ある寺院
富士山西山本門寺入口
(織田信長の首塚)伝
当山は、康永3年(1344)に日代上人が開創。
朝廷より下馬札を許された由緒ある寺院である。
境内には、天正10年(1582)に京都本能寺
の変で討ち死にした織田信長の首塚があります。
大柊と首塚の由来
この大柊は天正10年6月2日、
京都本能寺の変に討死した織田信長の首を
囲碁の名人と言われた本因坊日海の指示に
より、原志摩守宗安が信長と共に自刃した
父胤重と兄孫八郎清安の首と共に炎上する
本能寺より持ち出し、信長の首をここ駿河
の当山に納め首塚を築き柊を植えたものです。
百八代後水尾天皇の御息女、常子内親王の
厚い帰依を得られた当山中興の祖、十八代
日順上人は、原家の御出身であられ御自筆の
内過去帳に本因坊日海、織田信長の法号
を記し手厚く御回向されておりました。
信長公首塚大柊二代目
植樹 織田信成
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