織田信長・フォトストーリー

 学
生時代に司馬遼太郎氏の「国盗り物語」を読んだのです。
 「幕末の坂本竜馬は明智左馬助(弥平次)光春(秀満)の子孫であるという。」
 この一節の中にひょっとしたら歴史の秘密があるのではと思わされたのです。

 むろんこの種の家系伝説というのはほとんど付会説か作りばなしが
 多いのですが、坂本家の紋が光秀の桔梗紋を継いでいることを思う
 と、坂本家ではたてまえとしては左馬助の子孫を称していたことを
 思うと不思議でならないんです。

                   織田信長像

        織田信長像 
                  
愛知県清須市清洲町

 そのため、ことあるごとに明智光秀を追い、光秀の関係者達を訪ね求めていったのです。

 
光秀を探し求める旅は、織田信長を尋ね求める歩みでもあるのです。
 そして、二十数年後、本能寺の変戦没者合祀墓に同姓の名簿を見つけました。
 そんなに多くない苗字であり、代々、織田信長の出生地のひとつで
 ある勝幡城から数キロの所に住んでいることを思うと、今までの歩みは、ここに達するためのものではなかったのかと思わされたのです。


                変戦没者合祀墓
       
                
京都市中京区
                祖父江善光寺
       
                愛知県稲沢市祖父江
 さらに、祖父江善光寺の寺伝によれば、寺のある祖父江は、天正10年(1582)、本能寺の変後、善光寺本尊が織田信雄によって岐阜から尾張清洲城近くの甚目寺へ遷座する途中、1泊した場所という。この祖父江善光寺に
祖父が関係していたことを思うとき、深い驚き感じざるを得ません。

 そこで、1534年織田信長の誕生から1582年6月2日本能寺の変まで
 を年代を追って写真とともに見ていきたいと思います。
 このように見ていくことが、私達一人ひとりの人生にとても役立つの
 です。
 はじめは史跡探訪のどこがいいのかと思われるかもしれません。
 しかし、何度も訪れるうちに、だんだんと面白さを感じるコツのような
 ものが身についていくようになります。
 このお城があったからこのような町が出来たのかとか、このお城と
 このお城のためにこの道が出来たのかとか。だからこんな事件が
 この場所で起きたのか。
 あのヴィジョンをもったから、あのようなことをしたのか、そしてそれに必要な人物や物が集まったのか。
 あるいは、なるほど、あの人物はここで生まれたのかとか、いろんな
 ことがつながりだすのです。

 このようにみていくと、あのお城とこの道とあの人物と私は無関係ではないような気がしてくるのです。

 このような観点を身に付けていくと、大げさではなく人生が変わって
 いくのです。

 あなたもあなたの近くの史跡から訪ねてみてください。
 あなたの新しい世界が広がります。心から応援しています。

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