織田信包
津城
三重県津市
津城
津城は戦国時代伊勢国に勢力を伸ばしてきた織田
信長の弟、信包によって築城されました。信包は、は
じめ信良といい、長野氏の養子となり、河芸上野城
を築きました。しかし、上野城は手狭なため、元亀2
年(1571)安濃津に築城工事を始め、天正8年(1580)
五層の天守閣をあげ、津城は完成しました。
信包は文禄3年(1594)丹波国柏原(今の兵庫県)
に減封され、代りに富田知信が城主となり、その子
信高のとき関ヶ原の戦いが起こりました。この戦いで
津城は西軍の攻撃を受けました。安濃津籠城戦とし
て有名なこの戦いで津の町は戦火にあい、荒廃して
しまいました。
藤堂高虎公
三重県津市お城公園内
戦いは東軍の勝利となり、信高は再び津城主となり
ましたが、慶長13年(1608)伊予(今の愛媛県)宇和
島に転封、代って伊予今治から藤堂高虎が伊勢・
伊賀の大名に封じられて津に移ってきました。これは、
当時大阪城には豊臣秀吉の子秀頼がいて、家康が
天下を統一するのにどうしても大阪方と戦わなければ
ならず、家康の信任の厚い高虎を伊勢・伊賀に置い
て、いざ戦いのときにはまず高虎にあたらせようとし
たからといわれています。
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