父・織田信秀

                   尾張国南西部を支配する勝幡城の城主・織田信定
                   の長男。
                             勝幡城
              勝幡城址
                                   愛知県海部郡佐織町勝

                   子に織田信長、織田信行、織田有楽、お市の方(浅
                   井長政、柴田勝家室)らがいる。この城で信長が生
                   まれたとも言われている。

               古渡城跡
          古渡城跡
                           
名古屋市中区橘2 東本願寺別院内


                   天文3年(1534)織田信秀が築城した。信秀は、それ
                   まで今川氏豊から奪取した那古野城にいたが、その
                   子信長に那古野城をゆずり、ここに移った。信長はこ
                   こで天文15年(1546)13歳で元服した。城は東西140
                   m、南北100m、周囲に二重の堀を巡らしていたといわ
                   れる。天文17年信秀が末森城に移り、信長も清須城
                   に入り廃城となった。


                   1543年、織田秀信、朝廷に対して4000貫文を献上。
                   今で言えば、4億から6億ということでしょうか。織田家の
                   財力恐るべし。

                 土田御前
                  
                            
岐阜県可児市土田

                               土田城 
                    織田信長の母土田御前の出生地。
                    なお、尾張国海東郡土田説もある。

                  

                             
土田城
                   鎌倉時代の功臣、近江の佐々木義詮の末裔・山内
                   秀久が土田に移り、大炊戸渡しの利権を握り近隣に
                   勢力をのばし、土地名の土田氏を名乗る。かねて親
                   交のあった丹羽郡小析の土豪、生駒家広の娘を妻と
                   した。長子泰久出世後、家広と秀久は不和となり、妻
                   と離別。家広宅で出生したが次子政久(後の土田城
                   主)。成人した政久は主君(岩倉城主織田伊勢守信
                   安)に仕え、信安の密命を受け、土田に帰り、岩山に
                   築城し、以後、生駒氏を名乗る。
                   この地は尾張道、木曽路の入口の位置にある重要
                   な要衝の地で、伊勢守信安が尾張を守る防衛線の
                   出鼻城であり、これを守る任務が土田生駒氏の土田
                   城である。
                                         (案内標示より)
                   
                   土田氏は明智氏の家臣であったともいわれ、また、
                   織田信長の正室「濃姫」の母「小見の方」は明智家の
                   女性であり、明智・土田両家なしには織田家を語る
                   ことができない。

                            桃巌寺
                 桃巌寺
                             
名古屋市千種区
                   末森城主織田信行が、父信秀の菩提を弔うため、
                   末森村二本松(今の名古屋市千種区穂波町付近)
                   に創建。この地へは1714年に移された。
                   桃巌寺の寺号は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」
                   からとられている。
                 

                 
                                 
名古屋市千種区

                             万松寺
                 

                 

                 

                            
名古屋市中区大須3
                   信長の父・信秀の墓(1552年病死)
                   1552年3月3日、父信秀の葬儀が万松寺で営まれた
                   さい、信長が焼香の時、鉢香を位牌に投げつけた逸
                   話は有名である。 

                               桜天神社
                  

                  織田信秀(信長の父)は菅原道真公を深く信仰し、京都
                  の北野天満宮より、公の神像を勧進して那古野城中に
                  祠を祀った。これを天文7年(1538)現在の地に移した。
                  愛知県下で最も由緒ある天神社で、天治、宝暦年間や
                  昭和20年3月の大空襲など三度の戦火にも、御神体
                  は氏子により守られ現在祀られている。

                  
                          名古屋市中区錦2


                          幼少期の信長
                  
                               勝幡駅前

                  織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長
                  1534(天文3)年5月28日尾張守護織田大和守家奉行
                  織田信秀の嫡男として、海東郡勝幡城に誕生する。
                  幼名は吉法師。

                  

                  


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