野間藤六
落語が誕生したのは、16世紀後半の戦国時代。
織田信長の側近・野間藤六と、豊臣秀吉の側近
・曽呂利新左衛門が、とんちを利かせた笑い話を
伝えたのが始まりといわれている。 落語は将軍
や殿様を楽しませる手段のひとつとして誕生。
浄音寺
岐阜市三輪宮西
民衆に伝えたのは京都・誓願寺の和尚・安楽案策伝。
オチのついた説法を考案。 説法は落語の原点とも。
ここは安楽庵策伝上人が7歳で出家し、その生涯
において20年以上を過ごしたお寺です。正式には
浄土宗西山禅林寺派西谷山浄音寺といいます。
出家した後、この寺で11歳まで過ごし、その後に
京都の禅林寺(永観堂)で修行、さらに山陽地区
を中心に布教活動を行い、7つものお寺を復興、
建立した後、43歳になって再びこのお寺に戻って
こられ17年間過ごされました。この間、美濃の名刹
である岐阜市西荘にある立政寺も一時預っていま
した。その後、60歳の時、京都新京極にある総本山
誓願寺へ移られました。策伝上人は生涯において
集めた様々な落とし噺・教訓話・仏の教えを説教集
である「醒睡笑」8巻にまとめました。策伝上人は説教
の達人で、字の読めない人たちにも分かり易く仏の
道を教えるため、最後に話の落ちを使う手法を採り
入れました。醒睡笑にもその手法が活かされ、後世
に落語の種として使われるなど、江戸時代より策伝
上人が落語の祖とされてきた由縁はここにあります。
また、策伝上人は茶人・文人としても著名です。
古田織部に茶道を学んで、茶道史上に足跡を残し、
文人としても認められています。89年という長い
生涯に数々の業績を残した人物でもありました。
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