織田信長の首塚


西山本門寺

静岡県富士郡芝川町西山



下馬札に由緒ある寺院
富士山西山本門寺入口
(織田信長の首塚)伝
当山は、康永3年(1344)に日代上人が開創。
朝廷より下馬札を許された由緒ある寺院である。
境内には、天正10年(1582)に京都本能寺
の変で討ち死にした織田信長の首塚があります。









大柊と首塚の由来
この大柊は天正10年6月2日、
京都本能寺の変に討死した織田信長の首を
囲碁の名人と言われた本因坊日海の指示に
より、原志摩守宗安が信長と共に自刃した
父胤重と兄孫八郎清安の首と共に炎上する
本能寺より持ち出し、信長の首をここ駿河
の当山に納め首塚を築き柊を植えたものです。
百八代後水尾天皇の御息女、常子内親王の
厚い帰依を得られた当山中興の祖、十八代
日順上人は、原家の御出身であられ御自筆の
内過去帳に本因坊日海、織田信長の法号
を記し手厚く御回向されておりました。







信長公首塚大柊二代目


植樹 織田信成

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