丹羽長秀


丹羽長秀邸址
丹羽長秀邸址
名古屋市西区児玉町

丹羽長秀は、織田信長の重臣。
秀吉は、丹羽長秀と柴田勝家から
一字づつもらって羽柴と称した。



白山社
白山社
名古屋市西区児玉町

丹羽長秀陣地跡



滋賀県東浅井町虎姫町

丹羽長秀
天文19年(1550)頃から織田信長に仕える。
永禄11年(1568)9月の上洛に従い、六角氏の近江
箕作城を攻略した。元亀元年(1570)の姉川合戦後は、
佐和山城攻めを担当し、翌年浅井氏の将磯野員昌を降して
佐和山城主となる。元亀3年(1572)の江北出陣では、
柴田勝家・佐久間信盛・蜂屋頼隆らとともに小谷の町
を破り、虎御前山に陣を構えた。以後も信長指揮の戦い
にほとんど従軍し、戦功をあげている。また大船建造や
安土城普請の総奉行を務めるなど技術官僚としても
有能であった。天正10年(1582)の本能寺の変後は、
羽柴秀吉とともに明智光秀を討伐、その後近江高島・
志賀の二郡を得た。天正11年(1583)の賎ヶ岳合戦後は、
柴田勝家の旧領が与えられ、越前北ノ庄城主となる。

蟹清水砦

小牧市



蟹清水砦は、織田信長による小牧山への築城
(小牧越し)の際には、信長の武将丹羽長秀
の屋敷がおかれたと伝えられる。


丹羽長秀邸址の近くには、

旧志水家車寄と風信亭
旧志水家車寄と風信亭

旧志水家車寄と風信亭
名古屋市西区児玉町

志水甲斐守屋敷玄関車寄せは、明治
初年に名古屋城三の丸から移築。



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