織田信長・フォトストリー
犬山城


犬山城からの眺め・中央の山の頂上には岐阜城がある。
犬山城と岐阜城は直線で約15km。
愛知県犬山市
1564年小牧城に移った信長は犬山城を陥落させる。
1565年甲斐の武田信玄と同盟を結ぶ。
立政寺

岐阜市西荘3
正法軒跡

立政寺内
1567年7月27日立政寺にて、信長は初めて足利義昭と会見する。
この仲介をしたのが明智光秀と細川藤孝とみられる。
瑞龍寺

岐阜市
瑞龍寺の後ろに見える山に城攻め用の
取手を築き、稲葉山城を攻略した。
岐阜城

岐阜市中央の金華山ふもと
1567年稲葉山城を陥落させる。
信長は稲葉山城を攻略した頃から、「天下布武」
の印を使用し始めた。
信長は城名を岐阜城と改める。岐阜の命名は、
「中国の古代王朝周の始祖・文王は岐山という
ところで挙兵し、天下を平定した」という中国の
故事にちなみなされた。
長政とお市の方

滋賀県東浅井郡湖北町・河毛駅前
1567年信長の妹・於市は、織田家と浅井家の同盟のため、
浅井長政に嫁ぐ。
1568年10月22日足利義昭が将軍に就任する。
信長は、自ら据えた将軍・足利義昭を傀儡化し、
政治的な実権を握ろうとした。
我慢ならなかった義昭は、間もなく武田信玄・朝倉義景
などの大名や延暦寺・石山本願寺などの寺社に呼びか
け反信長包囲網を結成する。
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