織田秀信



                             本能寺の変に際し、織田信忠の嫡男・三法師は、
                             前田玄以により二条御所あるいは岐阜城より
                             尾張清洲城に避難。


                                         円徳寺
                             

                             

                             関ヶ原の前戦に岐阜城落ち、城主織田秀信、
                             この寺に来り、住職教了により剃髪し、仏門
                             に入り、紀州高野山におもむく。


                                      崇福寺
                             
                                       岐阜市長良福光

                             

                                         血天井
                             崇福寺・本堂の“血天井”は信長公の孫三法師秀信
                             が慶長5年(1600年)関ヶ原合戦の前夜(約1ヵ月程
                             前)西軍に属し、東軍の攻撃を受け岐阜城が落城し
                             た際、戦死した将兵(38名)の霊を弔らうため城の床
                             板を天井に張ったもので、今でも血痕が付着している。
                             なお、三法師秀信は数名の家来に伴われ、高野山
                             に落ちのびたが、この地で若死にをしている。

                                     織田信長公父子廟
                             

                            信長、信忠父子の廟所は崇福寺の本堂裏にあり、
                            墓の高さは139cm、幅39cm、厚さ30cm。位牌形の石
                            碑で縦に両分して、父子の法名を左右に並べて刻ん
                            である。
                              総見院殿贈一品大相圀泰岩大居士   覚霊
                              大雲院殿三品羽林高岩大禅定門    神儀


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