今は、冬ソナブームですね。
そこで、少し、今不思議に思っていることを書いてみたいと思います。
1909年、前統監伊藤博文が、ハルビン駅前でピストルで撃たれ死亡する。
伊藤を射殺したのは、安重根という韓国人の民族主義者です。
他に犯人複数説、犯人ロシア人説がある。
犯行動機はいうまでもなく、統監としての伊藤の韓国支配の強引さをうらんで
の殺意からでした。
この伊藤の暗殺を機に、明治政府はいっそう韓国の支配を強化し、日本から
憲兵隊を派遣し、韓国の警察権をも奪いました。
そして翌年、日本は韓国との間に韓国併合条約を締結し、韓国併合に踏み
切りました。
ちなみに殺された伊藤博文は、韓国を日本の保護のもとに置くことには賛成
でしたが、同国を日本の領土の一部にする、すなわち台湾のような植民地に
することについては、反対の姿勢をみせていました。
ただ、伊藤が暗殺される直前、韓国の植民地化は政府の正式な方針となっ
ていますから、伊藤が殺されたことが韓国併合の決定打になったわけでは
ありませんが。
河合敦著「これならわかる!ナビゲーター日本史BB開国〜明治」参照
安重根に暗殺された伊藤博文は、韓国の植民地化に対して反対の
姿勢をみせていた。
私には、このことが不思議でなりませんでした。この事実の中にも私たちが
見落としているものがあるのではないかと思うようになりました。
さらに、
1906年、初代統監の伊藤博文は、教育事業に多大な関心を寄せていた。
朝鮮では1895年の甲午改革により近代教育制度が始まったが、伊藤が
就任した1906年まで、11年たっても全国で小学校が40にもみたないという
のが実情だった。
これを知った伊藤は着任早々、大韓帝国の官僚を集めた席で「これまであなた
がたはいったいなにをしていたのか」と叱責し、学校建設事業を最優先して
改革をすすめた。
その結果、1940年代には全国に1000をこえる各種学校ができていた。
日本政府が朝鮮に投入した補助金は多いときには2000万円をこえたともいう
が、これは日本の予算全体の20%に相当する額だ。このように朝鮮に投入
された資金は、官公庁と学校を新設し、教師と公務員に俸給を支給し、道路、
鉄道、港湾、電力施設など社会間接資本を建設するのに使われた。
「親日派のための弁明」参照
韓国・日本が本当の意味で分かりあえるには、このあたりのこともお互い
に分かりあえないといけないのかもしれないと思うようにまりました。
下記に、親しみやすいものをあげておきましたので、参考にしてください。
日韓「禁断の歴史」 金 小学館
親日派のための弁明 金 草思社
スカートの風 呉善花 三交社
渡辺昇一の日本史 渡辺昇一 ワック
三たびの海峡 帚木蓬生 新潮社
韓国民に告ぐ 金文学、金明学 祥伝社
韓国人のホンネの裏側 高信太郎 青春出版
日本の驕慢韓国の傲慢 渡辺昇一、呉善花 徳間書店
おもしろい韓国人 高信太郎 光文社
反日韓国に未来はない 呉善花 小学館文庫
上記紹介の本について
戻る