西尾吉次
幡豆郡吉良町駮馬
西尾吉次は、享禄3年(1530)三河国東条城主吉良
持広の子として生れる。吉良持広は、松平清康の妹
を娶り、清康が尾張守山の不慮の死を遂げるや、
清康の遺児仙千代(家康の父・広忠)の親代りとなり
松平一門の危機を救った。吉次は、織田信長の人質
として送られ、桶狭間合戦以後、織田信長に仕える。
天正10年(1582)、徳川家康の饗応役に命じられ、
本能寺の変が起こると、家康に急報し、護衛をして
伊賀越えを決行、その後徳川家康の家臣となった。
天正18年(1590)に、家康の関東移封に伴い、武蔵
国足立郡原市に5000石の所領を与えられた。関ヶ原
の戦いで功をたて、原市藩を立藩する。慶長11年
(1600)伏見で死去。娘婿の忠永が家督を継いだ。
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