西枇杷島


清須市新川町



この地は慶長年間(1596〜1614)、徳川家康の
命を受けた市兵衛と九左衛門の二人によって
青物市問屋が開かれたといわれている。
その後、問屋は小田井の市、又は枇杷島市場
ともいわれ、江戸の千住や大阪の天満と並び、
日本の三大市場に数えられた。昭和30年に移転
するまでの約300年間、尾張地域の流通の中心
地として栄えた。市場での取引は、荷主と買主の
相対売買が原則であった。買主は素人すなわち
直接消費者でもよく、これは他の市場には
みられない大きな特徴の一つであった。

美濃路道標


美濃路道標
美濃路は江戸時代、東海道と中山道と
を結ぶ脇街道として発達しました。
当時、旅をするのに一里塚や道しるべはなくては
ならないものでした。この道しるべは文政10年
(1827)、旧枇杷島橋小橋のたもとに建てられた。

問屋記念館


問屋記念館
(旧山田九左衛門家住宅)
言い伝えによれば、山田家の先祖の九左衛門は、
慶長19年(1614)の大阪冬の陣のおり、徳川家康
が当地の庄内川を渡河した際、市兵衛とともにその
世話をして功をなし、問屋業を始めたといわれてい
る。後にそこに橋がかかると、元和8年(1622)九左
衛門は市兵衛とともに「御橋守掃除給」として、一反
四畝(1388u)余りの「永代除地」(永久免税地)を
賜っている。なお、この家屋は平成4年5月に本町
橋詰町51番地から現在地に移築復元された。














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