荷之上城


                
                       愛知県海部郡弥富町荷之上

                服部家は織田氏との戦乱後、天正4年(1576)に旧
                領地荷之上城跡に屋敷を建てた。

                          服部家住宅
                服部家は、家蔵文書によれば、天正4年に現在地に
                居を構え、この地干拓に尽力し、江戸時代には代々
                大庄屋をつとめた。また、尾張津島神社天王祭の車
                屋(主催者)でもある。
                屋敷地は、東西約50メートル、南北約60メートルあり、
                南面東寄りに表門を開き、この両脇から土塀が東西
                にのびている。もとは側背面に堀がめぐらせてあった
                が現在は背面にその一部を残すのみとなっている。
                また、敷地のほぼ中央の主屋が南面して建ち、この
                背後に離座敷があり、さらに北面に文庫蔵が建つ。
                主屋は、桁行十間半、梁間五間で、東三間半を土間
                とし、土間に沿って三室を配し、この上手表側に玄関、
                座敷など接客用四室、裏側に納戸など内向の三室を
                配している。天正四年の建築当初は土間沿いに表か
                ら裏まで達する広い部屋であったが、後の改造が加
                わって現在に至る姿になった。この改造や修理の経
                過は家蔵の普請文書や古図、建物の部材に残る墨
                書によって知ることができる。
                離座敷は、安永9年に伊勢戸津村喜兵衛の座敷を移
                築したもので、二室続きの座敷と後に増築された茶室
                からなる。
                表門は、中央に扉口を設け、両側に部屋や土間を持っ
                た長屋門である。
                服部家は、主家の建築年代がとりわけ古く、後世の
                改造や修理の記録が残り、その上、庄屋層の屋敷
                構えをよく伝えているなど、きわめて貴重な住宅であ
                り、敷地内の建物だけでなく、宅地も重要文化財に
                指定されている。

                              水堀
                



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