夏目吉信


夏目吉信の墓

幸田町



永禄6年(1563)の三河一向一揆のとき、六栗城主
だった夏目吉信は、一揆勢に加担し、野場城に
立て籠もった。松平伊忠に攻められ捕らえられたが、
家康はこれを許し、命を助けた。元亀3年(1572)
12月22日徳川家康は、武田信玄と三方ケ原で
戦ったが、散々に打ち破られた。このとき吉信は、
恩を報ずるのは今と、家康の身代りとなり、壮烈な
討ち死にをとげた。家康は、その死を悼み、六栗
明善寺に葬らせた。墓はもと中屋敷にあったもの
を、近年ここに移した。(三河物語などによる)

明治の文豪夏目漱石はこの系の後裔である。



野場西城土塁

愛知県額田郡幸田町野場字城

@大須賀氏
大須賀胤重は故あって三河に来て吉良氏に仕え、
高常は酒井将監に仕え、胤高は大永7年(1527)に
野場城に生まれる。家康に忠勤し「康」の一字を賜
わり康高と改める。天正2年横須賀に2万石を賜う。
夏目氏
永禄6年(1563)三河一向一揆のとき夏目吉信、大津
半右衛門、乙部八兵衛等この城に拠る。松平伊忠に
攻められ落城する。以後廃城。土塁が認められる。





夏目次郎左衛門吉信の碑

浜松市



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