名古屋城
          
           現名古屋城
                                 
 名古屋市中区二の丸


                      

                      テレビ塔からの名古屋城。

                      

                               

                              名古屋城
                      名古屋城は、関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳
                      川家康が、慶長14年(1609)江戸幕府の東海道の
                      要所として、また、大坂(現大阪)方への備えとして、
                      清須(現清州町)から名古屋へ遷府を決定し、加藤
                      清正・福島正則・前田利光等北国・西国の諸大名20
                      名に普請(土木工事)を命じ、天守閣や諸櫓の作事
                      (建築工事)は、慶長17年(1612)にほぼ完成した
                      代表的な平城です。その後、明治維新をむかえるま
                      で名古屋城は、徳川御三家の筆頭尾張家の居城と
                      して栄えました。
                                              (パンフより)

                                 地図リンク

                      

                               榧の木
                      

                               榧の木(天然記念物)
                      高さ16m、幹回り8mで、築城以前から自生し、樹齢
                      600年以上といわれている。名古屋市内唯一の国
                      指定の「天然記念物」である。
                      空襲によって被災したが、幸いにして樹勢を取り戻
                      した。初代藩主徳川義直が大阪へ出陣のとき、この
                      実を膳に盛り、のち正月の祝膳にも盛ったといわれる。


                      樹齢600年以上と伝えられる。

                      

                         名古屋城西北隅櫓
                           
                                名古屋市中区本丸

                           

                           

                           

                           

                           
                           西北隅櫓(国重文)は清洲櫓ともよばれ、清洲城
                    の小天守閣を移したものといわれている。


                                 石垣の勾配
                     

                     名古屋城天守閣の石垣積みは、上部で外側にそり
                     だした「扇勾配」の技法が取り入れられている。これ
                     は加藤清正が担当して築いたので、とくに「清正流
                     三日月石垣」といわれている。この技法は、石垣を
                     内面に湾曲させ石の重みと内側の土圧による力を
                     分散させ、はらみを避けるためである。


                             旧志水家車寄と風信亭
                      旧志水家車寄と風信亭

                      旧志水家車寄と風信亭
                               名古屋市西区児玉町

                      

                      志水甲斐守屋敷玄関車寄せは、明治初年に名古屋
                      城三の丸から移築。

                                 西南隅櫓
                      

                      

                               加藤清正像
                    加藤清正像
                               名古屋市中区
                         後ろに見えるのは名古屋城。

                         清正公石曳きの像

                    清正公石曳きの像
                              名古屋市中区・名古屋城

                                   清正石
                      

                                清正石
                   この石は加藤清正が運んできたといわれてきた
                   が、この石塁は黒田長政の丁場であったので、
                   「清正石」というのは、単なる伝説であろう。



                              乃木倉庫
                     

                           登録有形文化財(平成9年)
                     乃木希典が名古屋鎮台に在任していた明治初期に
                     建てられたと伝えられ、だれいうとなく「乃木倉庫」と
                     呼ぶようになった。当建築は煉瓦造平屋建で旧陸軍
                     の弾薬庫であった。
                     昭和20年5月14日の名古屋空襲の際、天守閣、御殿
                     等が焼失したが、本丸御殿の障壁画や天井絵類の
                     大半を取りはずして、ここに保管していたため被災を
                     免れた。のちに煉瓦の保全のため、白亜塗りとした。
                     なお、被災を免れた障壁画等は現在重要文化財に
                     指定されている。

                               

                                   埋門跡
                      

                      埋門とは、城郭の石垣又は土塀の下をくぐる門をいう。
                      埋門の跡は二之丸庭園の西北の位置にあり、城が
                      危急の場合、城主はここから脱出することが決めら
                      れていた。
                      この門をくぐれば、垂直の石段があり、これを降り壕
                      を渡って対岸の御深井丸の庭から土居下を通り大曽
                      根、勝川、定光寺を経て、木曽路に落ち行くことが
                      極秘の脱出路とされていた。

                      

                                  三の丸庭園
                      
                              名古屋市中区三の丸

                      明治13年(1880)。陸軍偕行社の南庭として、名古
                      屋城二之丸東庭園の庭石などを利用して作庭。

                                   四間道
                    

                       名古屋市四間道町並み保存地区

                    名古屋城の築城は慶長15年(1610)に始まり、城下
                    町の建設も同時に進められました。
                    尾張の政治の中心地も清洲から名古屋へ町ぐるみ
                    移転しました。これがいわゆる「清洲越」といわれる
                    ものです。
                    この地区は清洲商人の町として生まれ、堀川沿いに
                    は、水運を利用して米穀、塩味噌、酒、薪炭なだを城
                    下まちに供給する商家が軒を連ね繁栄しました。
                    四間道は、元禄13年(1700)の大火の後防火の目的
                    や商業活動のため道幅を4間(約7m)に広げたことに
                    より、その名がついたともいわれています。
                    四間道をはさんで、東側には石垣の上に連続する土
                    蔵、西側には町家が建ち並ぶこの独特な景観は、元
                    文年間(1740頃)に形成されました。堀川から荷を揚
                    げた石畳や屋根神様そして子守地蔵尊など、下町情
                    緒が今も都心に残る貴重な地域です。
                    名古屋市は、この地区を昭和61年6月10日「街並み
                    保存地区」に指定し、歴史的な街並みを守るために
                    必要な建物、保存すべきものを定め、修理、修景工事
                    に対する補助事業などを進めています。


                                 五条橋
                    


                    かつて清須城下の五条川に架けられていた橋を
                    清須越(慶長15年(1610)より行なわれた清須より
                    の町ぐるみの引越しをいう)の際に、この地に移され、
                    橋の名前もこれに由来するといわれる。
                    元は木橋であったが、昭和13年(1938)にコン
                    クリート橋に架けかえられた。元の橋にあった
                    擬宝珠には「五条橋、慶長七年壬刀六月吉日」
                    の銘があり、現在は名古屋城に保存されている。


                              名古屋築城石切場跡
                      
                          名古屋市中川区月島町・金刀比羅社

                      この地は慶長15年(1610)名古屋城築城の折の
                      石切場所として伝承されている。境内には、石切
                      場跡の石碑が建てられている。

                      



                              岡部又右衛門家跡
                      
                               名古屋市熱田区

                      岡部又右衛門家は代々熱田の宮大工であった。
                      同家の此言とその子此俊は、織田信長の大工
                      棟梁として安土城造営に携わった。その跡を継い
                      だ宗光は、豊臣秀吉による京都方広寺大仏殿造
                      営にあたり、慶長14年(1609)名古屋城築城におい
                      ては徳川家康から御大工頭を命じられたが、完
                      成を見ずに翌15年没した。熱田大工の名門である
                      岡部家の関与は、とくに地元の職人を組織する
                      上で重要な役割を果したといわれる。


                              冨士神社と築城石
                      
                                 名古屋市東区

                      名古屋城築城の際、浅野幸長が城域に普請小屋を
                      設けたため、社は幅下(西区浅間町)に遷された。
                      その後再びこの地に社殿を建てて、冨士浅間宮を
                      祀った。境内には、今も□の紋様が刻まれた築城石
                      の残石がある。

                            名古屋城石垣残石の由来
                      

                      この造苑を成すに際し巨大石数多出土し、中の1つ
                      に□あるものを発見し、ここに利用することになった。
                      名古屋城石垣の残石であり、当地が築城の普請小
                      屋の1つであったことを証明することとなった。

                                 成瀬屋敷門
                      
                               稲沢市祖父江町

                      明治初めに名古屋城内から移築。
                      犬山城主で尾張藩付家老だった成瀬家の門という。

                      

                                  竹長押茶屋
                      
                                弥富市前ケ須町

                      名古屋城北御深井丸にあった尾張藩御用の離れ
                      休息茶屋の移築。

                      
                             弥富市歴史民俗資料館

                                  刻紋石
                      
                                海津市南濃町・行基寺

                      慶長18年、名古屋城築城のおり、当山(臥龍山)
                      一帯より採石された河戸石の一つである。
                      当時この地域には蜂須賀阿波守、細川越中守、
                      鍋嶋信濃守ら三人の西国大名が出向き、多くの
                      石材(河戸石)を採石している。
                      この刻紋石は蜂須賀阿波守(小六の子)が切り出し
                      たものなれど、当時輸送中に落としたか、あるいは
                      何らかの理由により放棄されたものと思われる。
                      (上記を裏付ける古文書は当山に保存されている)
                      近年当地南濃町上野河戸の元桑原家屋敷を整備
                      中、土中約4尺程下に埋もれていたものを見つけら
                      れ、これを放置することなく広く見聞して頂く為に、
                      ここに是の如く築かれ奉献されたものである。

                      

                                  行基寺
                      

                                   刻印石
                      
                        海津市海津町萱野・海津市歴史民俗資料館

                      高須城の濠であった大江川底から、城の石垣に使わ
                      れたと見られる石が引き揚げられた。石には幾何学
                      的名紋様が刻まれており、「刻印石」と呼ばれている。
                      名古屋城築城にあたり上野河戸などの養老山地で
                      切り出された石にも同じような刻印があることから、
                      その関連性にちいても関心が集まっている。

                                   東照宮
                      
                                名古屋市中区

                       東照宮は元和5年(1619)尾張藩祖義直が、
                       父・家康の霊をまつるため名古屋城内三の丸
                       に創建、明治9年(1876)にこの地に移され
                       たが、昭和20年戦災により焼失した。
                       現在の社殿は、義直の正室高原院の霊廟で、
                       万松寺内にあったものを大正3年(1914)建中
                       寺に移し、更に昭和28年に東照宮社殿として移
                       建されたものである。棟札によれば、慶安4年
                       (1651)の建物である。愛知県指定文化財

                               春姫(はるひめ)
                        尾張藩初代藩主徳川義直の正室。父は
                        紀州藩初代藩主浅野幸長、母は正室の
                        池田恒興の娘。号は高原院。寛永14年
                        (1637)37歳で死去。萬松寺に葬られる。
                        義直と春姫の間には子供が生まれず。
                        側室の子である徳川光友が継いでいる。

                      

                      

                      


                              原川の落し石
                      
                                   小牧市

                      この石は岩崎山の南東、年貢橋(清正橋)のすぐ下
                      流で発見された。石には、石を切り出したときのタガ
                      ネの跡と次のような三種類五個の刻紋がある。同様
                      の刻紋が名古屋城の石垣で認められており、大半が
                      加賀前田氏が築城工事を担当したところで発見され
                      ている。岩崎山は、古くから石材の産地として有名で、
                      名古屋城にも石を切り出したことが知られている。こ
                      の石は、慶長15年(1610)の名古屋城築城のため、
                      加賀前田氏によって岩崎山から運ばれる途中、原川
                      に落下し、放棄された落し石と認められる。

                      

                                  服部家住宅
                      
                              愛知県弥富市荷之上町

                      

                              段ボール名古屋城
                      
                         イオンナゴヤドーム前ショッピングセンター
                                           (H22.5.14撮影)

                      

                      

                      

                      

                                本丸御殿復元中
                      

                      

                      

                      

                      


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