長久手合戦


                                   床机石
                       
                          愛知県愛知郡長久手町大字岩作・色金山

                       天正12年(1584)4月小牧山で秀吉と対峙していた
                       家康は、8日午後8時ごろ約9千の兵を率いて小牧山
                       を出発、岡崎奇襲を企てて先行する秀吉方の別動隊
                       を追って、9日早朝色金山に兵を進めました。
                       家康はこの山上に金扇の馬標を立て四方を望見して
                       軍議をめぐらしました。今も残る山頂の巨石は、その
                       時、家康が腰かけたという逸話にちなみ床机石と呼
                       ばれ崇められ親しまれてきました。

                       
                           愛知県愛知郡長久手町大字岩作

                                    首塚
                       
                           愛知県愛知郡長久手町大字岩作

                       天正12年(1584)4月9日、長久手合戦の舞台となっ
                       た長久手の村々は、野といわず山といわず戦死者の
                       山となりました。
                       この惨状を目のあたりにし、心を痛めた岩作村安昌寺
                       の雲山和尚は、村人たちとともに屍を集めて埋葬し
                       塚を築いて供養しました。
                       毎年、合戦の日には首塚み香華が手向くけられ、村
                       人らによって法要が営まれますが、この法要には遠く
                       名古屋から尾張藩士らの参詣もありました。

                                   安昌寺
                       

                                 血の池公園
                       
                                       愛知郡長久手町武蔵塚

                       

                                血の池のいわれ
                     
天正12年4月9日の長久手合戦では、この一帯が主
                       戦場となり、付近の御馬立山に布陣した家康軍と秀
                       吉方の池田勝入、池田元助、森長可などの武将が
                       対峙し、死闘を繰り返した結果、秀吉方の三将が討
                       死しました。
                       血の池は、家康方の渡辺半蔵などの武将が、血槍や
                       刀剣を洗ったことからその呼び名がついたと言われ
                       ます。
                       毎年合戦の行われた頃になると、池の水が血の色に
                       赤く染まって漂ったと言い伝えられており、名松鎧か
                       けの松とともに永く人々の心に語り継がれてきました。

                              鎧かけの松
                       
                                        愛知郡長久手町武蔵塚

                       以前この近くに池があり、長久手合戦の時、諸軍勢
                       が手で水をすくって飲んだといわれ、また、血に染ま
                       った刀や鎗を洗ったともいわれている。昔から4月9日
                       (合戦の日)ごろには池の水が赤く変わり、血の池と
                       称されていたが、現在この地形はとどめていない。
                       この池で刀や鎗を洗う際に、武将が鎧を掛けたといわ
                       れる「鎧掛けの松」の二代目が、松くい虫の被害に
                       遭って昭和55年2月6日樹齢80年の生命を絶った。
                       このため、昭和57年7月1日三代目鎧掛けの松として
                       植栽した。

                                   御旗山
                       

                       天正12年(1584)4月9日、色金山に兵を進めた家康
                       は、そこで家康方の大須賀康高・榊原康政らの先遣
                       隊が白山林(尾張旭市)で秀吉方の三好秀次隊を
                       破ったことを知りました。しかしその後、先遣隊は檜が
                       根山麓で、秀吉方の堀秀政隊に敗れ、敗走を始めま
                       した。家康は直ちに救援を決め、南方岩崎方面(日進
                       市)にいる秀吉方の池田・森隊の様子をうかがいな
                       がら、御旗山に進軍し、頂上に金扇の馬標を立てま
                       した。
                       御旗山は後年、地元の人々によって富士浅間神社
                       がまつられるようになり富士が根とも呼ばれるように
                       なりました。

                       


                       


                            堀久太郎秀政本陣地跡
                       

                       
                                 愛知郡長久手町

                       この本陣地跡は、天正12年(1584)小牧・長久手の
                       戦いの折、秀吉方の武将堀秀政が桧ヶ根の戦闘で
                       本陣を布いた所です。堀秀政(1553〜90)は始め美
                       濃の斉藤氏の家人でしたが、後に信長に仕え、信長
                       の死後は、秀吉に属して戦い、山崎や賤ヶ岳の戦い
                       の戦功によって秀吉から佐和山城9万石を与えられ
                       ました。小牧・長久手の戦いでは、秀吉方の軍監(い
                       くさめつけ)として進軍し、桧ヶ根の戦闘で榊原康政・
                       大須賀康高ら家康方の追撃隊を撃ち破りました。
                       当時の桧ヶ根は標高81.2m、頂上に立てば北から
                       進軍して来る家康軍と、南に先行する味方の池田・
                       森隊の両軍が同時に見渡せる恰好の場所でした。



                                 木下勘解由塚
                       
                              長久手町大字長湫字荒田9-1

                       白山林で敗戦し、徒歩で逃げる総大将・三好秀次に
                       自分の馬をすすめて逃がし、追い来る徳川勢と奮戦
                       兄の木下助左衛門祐久とともにこの地で戦死。

                                   教圓寺
                       

                       
                                  愛知郡長久手町

                       長久手町HPによれば、家康が色金山から御旗山に
                       移るとき、この寺に立ち寄り、本尊に戦勝を祈願したと
                       いわれると記してある。

                              

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