六栗城


夏目吉信の墓

幸田町





永禄6年(1563)の三河一向一揆のとき、六栗城主
だった夏目吉信は、一揆勢に加担し、野場城に
立て籠もった。松平伊忠に攻められ捕らえられたが、
家康はこれを許し、命を助けた。元亀3年(1572)
12月22日徳川家康は、武田信玄と三方ケ原で
戦ったが、散々に打ち破られた。このとき吉信は、
恩を報ずるのは今と、家康の身代りとなり、壮烈な
討ち死にをとげた。家康は、その死を悼み、六栗
明善寺に葬らせた。墓はもと中屋敷にあったもの
を、近年ここに移した。(三河物語などによる)


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