結神社



岐阜県安八郡安八町西結

結神社と織田信長
天正2年(1574)信長は長島の一向宗を焼き討ち
しました。しかし、まだ東は武田勢、西には一向宗
の反抗勢力があり、翌天正3年、長篠の合戦、越
前の一向宗を撃つ前に、この結神社に7日間の戦
勝祈願をしたと言われています。その後、信長は
天下を取ることになる縁起のよい祈願でした。



結城址
高田二郎兵衛の館がここから南西700mの地に
あったと伝えられております。一説には、斉藤道
三の家臣で六人衆と呼ばれた大将格で重臣の
日比野下野守清實が天文年中(1532〜55)
結城主として三千貫を領して住み、東結入方の
津島神社の社殿や社領を寄進したりしましたが
永禄4年(1561)5月、織田信長と森部で合戦し、
大垣城主長井甲斐守衛安とともに討ち死にし、
斉藤軍は敗走しました。このときの兵火で城や
津島神社の社殿は焼かれてしまいました。






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