村木砦



知多郡東浦町森岡

村木砦の戦い
天文20年(1551)強敵織田信秀の死を好機に、今
川義元は尾張への進攻を図った。やがて鳴海城・
大高城・沓掛城を手中に収め、続いて、織田に属
する緒川城の水野信元を攻略しようとした。重原城
を根拠地として資材を送り、村木の岬に砦を築き、
三河の精鋭東条松平甚太郎義春を城将とした。
信元から援軍の依頼を受けた織田信長は天文23
年1月21日兵を率いて那古野城(今の名古屋城)
を出発した。22日は強風の中を熱田港から渡海し、
23日緒川城に到着した。24日朝から織田・水野の
連合軍が村木砦の攻撃を開始した。両軍共によく
戦ったが、夕方になって今川軍は遂に降伏した。
村の西方にある首塚は両軍の戦死者を葬った所
である。八剣神社は元亀2年(1571)信元の家臣
清水八右衛門家重・同権之助政晴が戦死者鎮魂
を願って創建した。          (案内板より)








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