水野忠重


楞厳寺


水野忠重は、徳川家康の生母・於大の方の弟。

兄・信元が武田氏との内通の嫌疑により織田信長
に殺害される。その後、家督を継いで信長に仕え、
佐久間信盛の与力となる。信盛追放後は、織田信忠
の与力となる。本能寺の変の時、織田信忠と共に
二条城にいたが、二条城から脱出して刈谷に逃げ戻る。
於大の方の弟だから助かったのだろうか。本能寺の
変後は織田信雄に属し、信雄が秀吉と講和してから
は秀吉に仕える。秀吉死後は、徳川家康に従う。


刈谷市天王町

曹洞宗の寺で、山号を神守山と号す。応永20年
(1413)遠州浜松普済寺の利山義聡が開き、多くの
修行僧が集まり禅の修行道場として盛えた。
第7世古堂周鑑のとき刈谷城主水野家の菩提寺
となった。徳川家康の生母於大は、周鑑禅師に
参禅し、得度をうけた。寺宝は「伝通院画像」は
県指定文化財、「伝通院調度品」「華陽院画像」、
水野忠重画像」は市指定文化財、
水野家廟所」は市指定史跡である。



水野家廟所


境内には刈谷城主二代目藩主水野信元、
三代目藩主忠重らが葬られている。


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