まつり物語


人が集まるところにエネルギーが集まる。


尾張三大奇祭

@熱田神宮の「歩射神事」(1月15日)

名古屋市熱田区神宮

裏に「鬼」と書かれた直径1.8mの的に向け、豊作と除厄
を祈り、6人の神職が白矢を2本ずつ、3回放つ神事。
その昔、朝廷で行われていた新春の神事にならっている。

信長塀


熱田神宮には、1560年桶狭間の戦いに勝った
織田信長が奉納した築地塀がある。



A国府宮の「はだか祭」(2月-旧暦1月13日)

稲沢市国府宮

1200年以上の歴史を持ち、はだか祭りとして、全国的
にその名を知られている。毎年、一人選ばれた神男が、
お籠により三日三夜身を清め、神事に望む。参加者の
裸男たちは、神男に触れると厄が落とせると、一斉に
神男に殺到し、勇壮なもみ合いが繰り広げられる。一人で
人々の厄を背負った神男は、その後、儺追殿に納まる。


国府宮の近くには、尾張国衙址がある。
尾張国衙址

稲沢市松下
古代律令制の時代、国司(現在の県知事)が政務を
とる官庁が国衙とか国庁といわれ、その所在地を国
府といった。国衙は、大化の改新のあと7世紀後半
に置かれたが、尾張の国衙は松下の地にあったとされ、
この地が政治・文化の中心地であったと思われる。




B七所社の「みねこさ祭」(2月-旧暦1月17日)

名古屋市中村区岩塚町

厄除けと五穀豊穣を祈る、1000年以上前から
伝わる奇祭。きねこさとは、「杵」と杵からこすり
落とした餅である「こさ」に由来する。

境内には、日本武尊の東征伝説にまつわる「日本
武尊腰掛岩」があり、境内に残る三つの塚(円墳)
とあわせ、この地「岩塚」の名の由来となっている。



岩塚古墳


古塚


奈良時代初期の古墳と伝えられている。埋葬者は不明であ
るが、当時この辺りを支配していた人物のものと考えられる。

日本武尊腰掛岩



天王祭り

津島市

天王川の上流は、萩原川・渕高川と呼ばれ、約五百
年前、この辺りは三百メートルほどの広さの川幅で
あった。津島神社参詣の人々のために天王橋(幅三
間・長さ七二間)が架けられ、その両岸には数千軒
の町屋が並び、数千艘の出船入船で活気を呈した。
津島湊はこの一帯で広さ五〜六ヘクタールに及ぶ当
地方随一の湊町・門前町として頗る繁昌した。
商都津島を支配した勝幡城の織田家は、信定・信秀
と次第に勢力を広め、信長は天下布武をとなえ天下
統一の基礎を築いた。信長は天王橋から津島天
王祭を見物した。また、江戸時代になると、代々の
殿様も見物に訪れて、たいへんなにぎわいであっ
たという。天王川は、天明五年(1785)に水害
防止のためここでしめ切られ埋立地に町ができた。

宵祭


朝祭







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