松永久秀




大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年
になる。その後1180年に平重衝によって、1567
年には松永久秀によって伽藍が焼失。現在の
伽藍は1709年に再建されたものである。


奈良市

松永久秀
三好長慶に仕え、長慶の死後(暗殺とも)、その
勢力を奪い、1565年将軍足利義輝を暗殺。
1567年、東大寺大仏殿焼失(失火説もある)。
1568年、織田信長に降伏。のち、信長に反抗、
帰服を経、1577年再び織田信長にそむいて敗死。



信貴山城

奈良県

信貴山城
標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、
東西550m、南北700mに渡って120以上の郭を
配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。
空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が
良く残り、特に高櫓跡は著名で、中世末の
織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて
良好な例で貴重な遺跡。信貴山は古代より
河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城
が繰り返された地である。古くは天智朝における
高安城中心城域となり、中世には護良親王が
鎌倉幕府への対抗拠点とするなど、戦略的に
重要な位置にあった。その後、戦国時代に
木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を
抑える本格的な山城として整備される。
天正5年(1577)、松永久秀が織田信長に
背き、大軍の総攻撃を受け、50日間籠城。
10月10日に落城。その後、廃城となる。



朝護孫子寺

平群町信貴山


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