松平信康


二俣城

浜松市二俣町

徳川信康自刃事件
大久保忠世が在城中に起こった事件として、有名な
ものに家康の嫡子信康自刃事件がある。一般には、
信康とその母築山御前が武田氏と通じていたことを
理由に、織田信長が信康を切腹させるように家康に
命じたとされている。家康はこれを受けて信康を
天正7年(1579)9月15日、二俣城で切腹させた。
この事件は戦後哀史として広く知られている。


清瀧寺

信康公首塚

岡崎市朝日町

若宮八幡宮
家康の長男信康は、織田信長の娘徳姫と結婚し、
家康が浜松城に移った年(1570)岡崎城主になり
ました。信長は、信康の母・築山御前が今川方の
出身であり、武田方と内通しているとの理由で、
築山御前と信康の処断を家康に迫りました。家康
も助命のために努力しましたが、果せず信康は
自刃、築山御前は殺害されてしまいました。
八柱神社には、築山御前の首塚があります。

若宮八幡宮




岡崎三郎信康供養塔

新宿区若葉2-9

西念寺を開山した服部半蔵が、徳川家康の長男信康
(岡崎三郎信康)の菩提を止めら卯ため、文禄2年(1593)
に建立した五輪塔の供養塔で、高さ269cmである。
信康は、永禄2年(1559)に生まれ、幼少時は今川氏の人質
として駿府で過ごした。永禄10年(1567)に岡崎に帰り、
織田信長の娘をめとり、元亀元年(1570)に岡崎城主
となったが、天正7年(1579)に武田勝頼と内通したとの
嫌疑により家康から切腹を命じられた。服部半蔵は、
この時介錯を果たせず、後に供養のため出家した。



堀江城

浜松市西区舘山寺町堀江

天正7年(1579年)83日、家康が岡崎城を訪れ、
翌日信康は岡崎城を出ることになり、大浜城に移された。
その後、信康は遠江の堀江城、さらに二俣城に移されたうえ、
915日に家康の命により切腹させられた。享年21





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