松平忠吉


                           松平忠吉・井伊直政陣跡
                    松平忠吉・井伊直政陣跡
                              
岐阜県不破郡関ヶ原町

                           松平忠吉
                    徳川家康の四男。妻は井伊直政の娘。        

                  1600年9月15日の関ヶ原の戦いで中山道の敵を目標
                    とする、福島・藤堂・京極隊。北国街道を黒田・竹中・
                    細川等の隊。その中央にあたるこの地に家康の四男
                    松平忠吉、後の井伊直政が約6000の兵で陣を構えた。
                    午前8時頃、軍監、本多忠勝より開戦を促され、直政・
                    忠吉を擁して前進し、宇喜多秀家の前面に出たが、
                    先鋒は福島正則であるととがめられ、方向を転じて、
                    島津義弘の隊に攻撃し、開戦の火ぶたが切られた。


                           東首塚
                    東首塚
                               
岐阜県不破郡関ヶ原町
                    この塚は関ヶ原の戦い直後に、この地の領主竹中家
                    が築いたもので、徳川家康によって実験された将士の
                    首がここに眠っている。

                             首洗いの古井戸
                    首洗いの古井戸
                                     岐阜県不破郡関ヶ原町

                             性高院
                    性高院
                           
名古屋市千種区幸川町3-6

                              双体地蔵石碑
                    双体地蔵石碑
                        松平忠吉と奥津氏の供養碑(性高院)

                             津島神社・本殿
                  
                               愛知県津島市
                    1605年清洲城主松平忠吉公(徳川家康四男)の健
                    康を祈願して妻女政子の方より寄進された建物で
                    秀麗な彫刻で飾られ桃山式建築の優秀なものとして
                    重要文化財に指定されている。

                                大光院
                    
                           名古屋市中区大須2

                   興國山と号し、曹洞宗。
                   もと清善寺と号し、松平忠吉(清洲城主、家康の第四
                   子1580〜1607)が崇敬をしていた明嶺理察和尚を開
                   山とし、清須に創建した。忠吉亡き後、その法名をとり
                   大光院と改め、慶長15年(1560)の清須越えでこの地
                   に移された。境内の明王殿に祀る烏瑟沙摩明王は、
                   世の中の一切のけがれや悪を浄める霊験があらたか
                   であるといわれ、尾張名所図解に「毎月廿八日を縁日
                   として参詣の諸人羣集(群集)をなす」とあり、それは今
                   にも続いている。

                    


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