牧村城址



岐阜県安八郡安八町牧

山内一豊ゆかりの牧村城址
牧村城
16世紀の戦国時代、当地の小城あり、牧村牛之助
政倫(斉藤竜興の家臣)が居城していました。のちに
政倫は、牧村兵部利貞(利休七哲の一人)を継嗣
にしました。城址は、古記録に「村南にあり」とされて
おり、この付近と推測されます。



一豊のかかわり
土佐藩祖となった山内一豊は、15歳の時
(永禄3年1560)城主牧村政倫の元に身
を寄せました。一豊は、守護代岩倉織田家
の家老山内盛豊の子として生まれました。
永禄2年、織田信長に攻められ、岩倉城
は落城し、父と兄は討ち死にしました。
一家は流浪の艱難の時、当地に寄寓しました。



出世の足がかり
一豊は、政倫が敵に襲われた時、水色の帷子鉢巻
き姿で馬に乗って襲撃するなどの武功をたてました。
また、地道で誠実な人柄を高くかわれ、秀吉の家来
になりました。その後、妻千代の内助の功もあり、
土佐24万石の大名にまで出世しました。
牧村城は、若き一豊が激動の中を過ごし、政倫や
西美濃の諸武将から貴重な人生を生き抜く才知を
学び、出世の足がかりになるところでありました。


岐阜県安八郡安八町牧、円長寺


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