舞坂宿



浜松市西区舞阪町舞阪





見付石垣


この石垣は舞坂宿の東はずれに位置している。
石垣の起源の詳細は明らかではないが、宝永6年
(1709)の古地図には既に存在している。見付は
見張所にあたり、大名が通行のときなどには、
ここに六尺棒を持った番人が立ち、人馬の出入りを
監視するとともに、治安の維持にあたった所である。

一里塚・新町常夜灯


本陣跡


東海道舞坂宿脇本陣


舞坂宿は、慶長6年(1601)の東海道宿駅制度設定
に伴い開設された五十三次のうち江戸から三十番目
の宿駅で、弘化2年(1845)の資料では、人口1204
人、戸数265戸でした。また、本陣(宮崎伝左側衛門)
と相本陣(源馬徳右衛門)があり、源馬本陣の向側
に脇本陣(茗荷屋 堀江清兵衛、がありました。脇本陣
は、大名・幕府役人等が本陣で宿泊休憩できない時に
利用された施設で、普段は旅籠屋として使われました。





北雁木


北雁木
ここは浜名湖今切渡しの舞坂宿側の渡船場跡で、
明暦3年(1657)から寛文元年(1661)にかけて構築
されました。その後、江戸時代には災害で幾度か
修復されています。両側の石垣の白い部分は昭和
28年の台風で、石垣が崩れたため積みなおしたもの
です。雁木とは階段状になっている船着場のことを
いいますが、地元では「がんげ」と昔からいってい
ます。舞坂宿には三ケ所の渡船場がありましたが、
一番南側は主に荷物の積み降ろしをした渡荷場。
真ん中は旅人が一番多く利用した主要渡船場で
本雁木と呼ばれています。この北雁木は主に大名
や幕府公用役人が利用したところで、往還から幅
十間(約18m)の石垣が水際まで敷きつめられている。



本雁木跡


ここより新居へ向かう船は季節により多少変わるが、
関所との関係で朝の一番方は午前4時、
夕方は最終船は午後4時であった。




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