前田利長


前田利長
前田利長は関ヶ原の戦いで東軍に属し、
所領安堵。
父は、前田利家。 母はまつ。
関ヶ原の戦いの前、前田利長は、家康の誤解を
解くため母はまつを人質としで江戸に送っている。

前田利家
織田信長に仕える。賎ヶ岳の戦いでは、柴田勝家
を離れ、豊臣秀吉につく。五大老の一人。
秀吉死後は秀頼を補佐するも、
関ヶ原の前年1599年亡くなる。

前田利家公初陣之像

名古屋市中川区

芳春院
まつは、1599年利家の死後、出家して芳春院と称する。  
1600年、関ヶ原の戦いの前、家康の誤解を解き
前田家を守るために人質として江戸に赴き、
14年の歳月を人質として過ごす。
金沢に戻って3年後の1617年、71歳で死去。

前田氏の発祥の地には2説あり、ひとつが尾張国海東郡
前田村説ともう一方が美濃国安八郡前田村説である。


美濃国発祥だから、前田家が生き残ったのだろうか。

まつ(前田利家の妻)の生家と言われる
林氏日開常信家の屋敷跡

林氏日開常信家の屋敷跡
愛知県海部郡七宝町沖之島北屋敷




大徳寺芳春院

京都市北区

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