教如上人と土手組


光顕寺

安八郡安八町森部



教如上人は、東本願寺大谷派の開祖であります。
関ヶ原合戦の直前の慶長5年(1600)8月、上人は
栃木県小山の城に徳川家康を陣中見舞いし、その
帰路墨俣川渡船場付近で石田三成の軍兵の襲撃
を受けて危ういところを、森部村、大森村など15ケ村
の信徒が蓑笠で身を固め、鋤鍬などを打ち振り総力
をあげ上人を光顕寺にかくまい申したのであります。
上人は本堂の「須弥檀」の下に隠れ給い、もはやこ
れまでと辞世の和歌を短刀で鏡板に刻まれました。
また、屈強の信徒80数名が京都まで護衛申しました
が、途中戦死者は森部村の5名をはじめ実に十数名
に達しました。慶長10年秋、上人は特に土手組信徒
の代表を本山に呼ばれ、遭難時の働きをお喜びにな
り、本山直参のお墨付きと、土手組の呼称を安八町、
墨俣町、祖父江、茶屋新田、日置江の二十ケ寺と
その信徒に賜ったのであります。    (案内板より)






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