朽木元綱
1529〜1632。初め足利義昭に仕え、この頃は浅井氏に属する。
信長の金ヶ崎の時は、浅井氏に背き、信長を京都に逃がしている。
(1570年朽木越)その後、豊臣秀吉に仕える。
関ケ原の戦いでは西軍に属したが、決戦の最中に寝返る。
元綱3男、稙綱(1605〜1660)は、1618年将軍家光に召しだされ仕える。
朽木稙昌は、光秀の御霊を常照寺に勧招し供養をあげた。その後
四代稙治の時代に、町民から光秀を称える連署が届けられる。
「福知山が立派な城下町になったのは、光秀公のお陰だ。その御霊
をお祀りし感謝のお祭りをさせてもらいたい。」これを受けて稙治は、
祭りを行うことを許可する。城下の宇気母智神を祀った宮に、
光秀の御霊を合祀して「御霊神社」と唱え、現在に至る。
*光秀も足利義昭に仕える。
御霊神社
所在地 京都府福知山市西中ノ町
場所的にも福知山駅から徒歩約10分のところにあり、
光秀の功績を称えていることが実感できる。
戻る