黒田官兵衛



滋賀県木之本町



黒田家の由来
筑前・福岡52万石・黒田藩の始祖は、当地の御廟
に祀られている。佐々木源氏(近江源氏)の流れを
くむ黒田判官・源宗清(別名・宗満)公であり、この
地・近江国伊香郡(木之本町)黒田村に住み、湖北
の荘園の領主として、黒田判官と称した。黒田村の
中央の小字・構と称するこの一町角が往年の構屋敷、
即ち黒田判官の邸址である。黒田判官・宗清公
(1278〜1357、享年79。法名道法)より数えて6代
目・高政公の時代、永正8年(1511)、山城船岡山
の戦いの後、備前邑久福岡村に移り住むまでの約
200年間黒田氏は6代にわたり、この地に居を構えた。
この構屋敷から西へ約1km離れた余呉川対岸の
山麓、小字を穂先谷(今の保崎谷)の観音寺に、
かっては穂先長者とも伝えられている源宗清公が
寄進した当地いわれる鎧の草摺があった。更に南
1.7km離れた田井(今の田居)の寿徳寺(黒田村より
移築された寺院、今の樹徳寺)には、黒田氏の歴代の
墓石と黒田官兵衛孝高如水公の肖像画の掛軸がある。



黒田藩の歴代藩主
初代孝高(如水)
二代長政
三代忠之
四代光之
五代綱政
六代宣政
七代継高(宣政の甥男)
八代治之(徳川宗尹の五男)
九代治高(京極高慶の三男)
十代斎高(徳川治斎の次男)
十一代斎清
十二代長溥 (島津重豪の九男)
十三代長知(藤堂高猷の次男)
十四代長成(枢密院副議長)
十五代長禮(宮内庁式部職狩猟官)
十六代長久(山階鳥類研究所所長)
十七代長高

観音寺


樹徳寺



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