ことわざ
天王山
豊臣秀吉と明智光秀が、天王山で勝敗を決めたことから、勝敗の決まる機会。
天王山山頂
京都府乙訓郡大山崎町
洞ヶ峠を決め込む
明智光秀は、山崎の合戦で恩顧をかけていた筒井順慶に協力を求めるが、
順慶はこれを断り、光秀は合戦に敗れる。
洞ヶ峠
京都府八幡市八幡南山
このとき、順慶は山城、摂津、河内の国を見おろす洞ヶ峠に駐屯して戦局
を傍観、豊臣秀吉勝利と見るや直ちに峠を下り、秀吉に見方したことから、
日和見の代名詞「洞ヶ峠を決め込む」の語を生んだ。
しかし、実際この地にいたのは、筒井順慶ではなく、順慶の参陣を待つ
明智光秀であった。
筒井順慶陣所跡
京都府八幡市八幡南山
SF作家の筒井康隆はこの子孫。
元の木阿弥
またもとのとおり。
筒井順慶の父順昭は1551年、順慶の3歳の時に病死。順慶が幼少だった
ために遺言で喪を秘し、奈良に住む木阿弥を身代わりにした。
やがて影武者の役目を果たした木阿弥は市井の身に戻り、もとの木阿弥に
かえったという故事にちなむといわれる。
三日天下
明智光秀の天下が短期間で滅んだことから、わずかな期間しか政権(実権)を
保持できないこと。
光秀公首塚
京都市東山区三条白川橋
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