小西行長


小西行長屋敷跡

堺市堺区宿屋町東

小西行長屋敷跡
堺の薬種商小西隆佐の子。秀吉に信任され、しば
しば戦功をたて、天正16年(1588)肥後国(熊本県)
宇土24万石の領主となった。文禄・慶長の役(1592
〜1598)では、加藤清正と並んで朝鮮侵略の先鋒
となり、ピョンヤン(平壌)を陥れた。熱心なキリスト
教徒で洗礼名ドム・オーギュスタン(アゴスチーニュ)
堺に孤児院や病院を建てるなど、社会事業に尽くし
た。後、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いでは、石田
三成について敗れ、京都で斬首された。刑場に
おいても、行長は、主の名を唱え、手にキリストの
小画像を捧げ持ち、刑についたといわれる。



小西行長陣跡
小西行長陣跡
岐阜県不破郡関ヶ原町

小西行長は、ここ北満天山に4千余の兵を率いて参戦。
午前8時ごろ、開戦開始ののろしをあげ、味方に合
図をすると共に、西軍主力の一つとして勇戦。
しかし、小早川らの裏切りの衝撃は小西隊の
混乱を招き、乗じた本多隊の襲撃で、兵士達が
敗退しはじめたのは午後1時過ぎであった。

関ヶ原古戦場開戦地
関ヶ原古戦場開戦地
岐阜県不破郡関ヶ原町

1600年9月15日、霧が薄くなり、視界も広がった
午前8時、先鋒の福島正則は井伊隊の旗の
動くのを見て、先陣の手柄を取られてなるものかと、
宇喜多隊へ一斉射撃を浴びせた。一方、井伊隊も
福島隊におくれまいと島津隊に向って攻撃を開始し、
合戦のひぶたが切って落されたのがここである。



小西行長之墓

岐阜県不破郡垂井町岩手・禅幢寺

明泉寺


竹中家ゆかりの寺である明泉寺の裏の竹やぶに、
小西行長の首塚と伝えられるものがあるとのこと。


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