小牧山城


天正12年(1584)に起こった小牧・長久手の合戦は
織田・徳川連合軍と秀吉軍の戦いであったが、家康
は尾張平野の要である小牧山にいち早く進出した。


小牧市堀の内





小牧・長久手の合戦の土塁


城跡というと石垣を思い浮かべますが、小牧山城で
石垣がみられるのは山頂の西側のごく限られた部分
だけです。石垣は敵の進入を防ぐため城の外郭など
にめぐらす防御施設ですが、石垣の城が一般化する
のは江戸時代になってからで、小牧山城が築かれた
時代には、土塁と呼ばれる土で築いた堤防のような
施設で敵の進入を防ぐのが、一般的でした。
攻城側の兵が堀を越えて土塁を登ろうとすると城兵
が土塁上から弓・長槍・鉄砲などで防御するのです。
土塁は堀を掘った土を積み上げて築き、堀と土塁で
セットになっているのが普通です。小牧山城の土塁
は、堀の底からの高さが5m以上に及び外側が急傾
斜になっていて登りにくい構造をしています。
一方、内側の傾斜は緩やかで、城兵が土塁上に
登りやすくしていました。目の前の土塁は、天正
12年(1584)の小牧・長久手の合戦の際、徳川軍
が築いたものです。なお、この出入口部分は、
土塁が切れていますが、旧小牧中学校が昭和
22年に建設された際に、土塁を削って出入口と
したもので、城当時の出入口ではありません。

小牧・長久手の合戦の虎口



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