小堀遠州


小堀遠州出生地

小堀町字東方

遠州は、天正7年(1579)当地で生まれた。その頃、
父親の新助政次は、当時長浜城主であった羽柴
秀吉に仕えていた。小堀町の共有文書の中に、
江戸幕府が慶長検地に使用した慶長7年8月の
年号のある「江州坂田郡小堀村絵図」がある。
それには「小堀新助殿屋敷」とあり、ここがすなわち
その地にあたる。この東南には「馬かけばんば」、
「ばんば堀」、また西南に「ばんば屋敷」などの地名
があり、しかも、当屋敷を中心とした付近一帯の地形
は、ほぼ絵図のまま今日まで残っており、貴重である。



藤堂高虎生誕の地

滋賀県犬上郡甲良町・高虎公園内


遠州は高虎の娘を娶っている。

慶雲館

長浜市港町



近江国坂田郡小堀村(長浜市小堀町)に生まれる。
父は小堀新助政次、母は磯野丹波守員正の女。
幼名作介。名は政一(正一とも記しす)。慶長13年
(1608)従五位下遠江守に叙され「遠州」と呼ばれ
た。道号は大有。宗甫・孤蓬庵と号す。茶人。遠州
流の祖。幼時、父に従い大和郡山で、豊臣秀長の
小姓として仕える。慶長9年父の遺領備中高松
1万2千石余を継ぐ。同11年の院の御所をはじめ
駿府城・二条城などの作事奉行を歴任。建築や
造園に優れた才能を発揮。元和5年(1619)備中
から近江国浅井郡小室(浅井町)に移り小室城主
となる。同9年(1623)伏見奉行。各地の巡見や
奉行をつとめ、能吏として活躍。正保4年伏見奉行
屋敷で没す。茶は古田織部に学ぶ、禅を春屋
宗園に学ぶ。18歳の時には露地の水遺りの工夫
で師を驚嘆させ、その後、茶を大成。大名茶を
指導。「遠州の綺麗さび」の茶風を確立。造庭では
建築的手法や借景法を取り入れた手法を完成。

孤篷庵

長浜市上野町

小堀遠州菩提寺
この寺は小室城主であった小堀家の菩提寺として、
承応2年(1653)遠州没後に建立された。当初は
少し離れたところにあったが、三代政房の宝永6年
(1709)に現在地へ移された。庭園もその頃の築造
と考えられる。遠州の菩提所である。同名の京都
大徳寺塔頭に対し、近江孤  庵と呼ばれている。



戻る