清洲宿

五条橋

清須市清洲町

五条橋は、室町期、斯波氏の時代から架かり、
1610年の清洲越で城と共に名古屋堀川に移さ
れるまで、まさに「御城橋」の役を果たしてきた。
信長が愛馬に跨って渡り、豊臣秀吉がほぼ、
全国統一を成し遂げた小田原征伐の帰路、
この橋の上で上畠神社へ社領の寄進を行なった。
清洲越の後、美濃路宿駅として清洲が復活すると、
旅人の往来著しく、五条橋は何度も改築された。



清洲古城址


清凉寺


清凉寺と札の辻
当寺は、寛永年間に近くの土田(清洲町)からこの
地に移り、洪福山清凉禅寺と改めた。子守観音を
本尊とし、延命地蔵、弁天、大黒、薬師、秋葉、
百度石などを祭る庶民信仰の寺である。
この付近は、尾張名所図会にも描かれている通り、
美濃路清洲宿の中心地で鍵型の曲がり角には
高札が立ち、「札の辻」と呼ばれた。
津島への分岐を示す指差し道標が最近まで残っていた。
常夜灯も寺入口にあった。寺門上層の鐘撞には、
1712年以来、宿内に時を告げた時鐘が今も残って
いる。清洲越し以後の清洲になくてはならない
存在となっている。

美濃路清洲本陣跡


清洲宿は、はじめ一場桑名町に置かれたが、
1668年火災に遭い、ここに移された。
以来この本陣は、将軍上洛、大名参勤、勅使
や朝鮮・琉球使節、お茶壺の参府、時には
大象の下向などの休泊所となり、美濃路の
なかでも最も豪壮な建物であった。
1878年明治天皇一行も小休した。
1891年濃尾地震で建物が倒壊、火災に遭い、
わずかに免れたこの正門のみ縮小して
再建され、唯一清洲宿本陣の名残となっている。

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