吉乃


                    吉乃は信長の母である土田御前と姻戚関係にある。
                    土田御前の甥、土田弥平次に嫁ぐが、戦死。
                    その後、織田信長の嫁ぎ、信忠・信雄らを生む。

                             吉乃の墓
                    
                                  
久昌寺内
                      信長の側室・吉乃の墓(右端)が久昌寺にある。
                      吉乃は、信忠・信雄・徳姫の母である。      

                    

                                  久昌寺  
                    
                              
愛知県江南市小折町
                    生駒氏の菩提寺。吉乃を始めとして、
                    生駒家代々の墓がある。        

                         吉乃桜と吉乃荼毘碑
                  
                              江南市田代町

                    この桜は、NHK大河ドラマ「信長」の生駒の方(吉乃)
                    を演じた女優高木美保さんが、平成4年5月5日嫩桂山
                    久昌寺を参詣の折、吉乃桜と命名されました。
                    生駒の方(吉乃)は織田信長の子、信忠、信雄、徳姫
                    の三人の母でここに眠る。


                           
生駒氏の邸址
                    
                                     愛知県江南市小折町


                              広間家の門
                    
                              江南市布袋町中

                    広間家はもと、生駒家の典医。この門は生駒屋敷
                    の中門の移築。欅造りで屋根は起破風にみられる
                    凸形の曲線形がきれいであり、波をかたどった棟瓦
                    や波間に龍とおぼしき動物が水煙をはいている
                    鬼瓦は立派。当時、この門から駕籠が出入りした
                    といい、南袖には棒を挿した穴がついており、門の
                    正面のなまこ壁など、昔日の生駒屋敷の偉容が
                    偲ばれる。

                    

                    家系図
                                          生
                                         駒
                                         家
                                         広
                                     __|
                             土      |  |
                             田____女  生
                             秀  |   子  駒
                             久  |      豊
                             __ |       政
                             |  |      |
                             政  泰      
                             久  久      
                          __|          |
                         |  |           親
                           土___信    正
                           田  |  秀    |
                             御  |        |
                             前  信______吉
                                長   |   乃
                                 __|
                                |   |
                                信  信
                                雄  忠


                   吉乃は夫の死後信長の側室に。一正と吉乃は兄弟。
                   土田秀久は明智氏の家臣といわれる。(土田城は、
                   明智光秀の出生地の周辺であることは確かです。)
                   土田親重は幼時に生駒豊政の養子となる。
                   (太字の親重は同一人物)


                               生駒氏
                  秀吉の時代、戦功により、6万石讃岐国丸亀城主まで
                  なっている。
                  関ヶ原の戦いの時、親正は西軍に属し、子の一正が
                  東軍に属し、戦後、親正は罪を謝し高野山にのぼる。
                  子の一正は、父・親正の本領讃岐17.18万石を領した。
                  4代藩主高俊の時、「生駒騒動」が起こり、讃岐国より
                  出羽国由利郡矢島1万石に転封となった。


                  土田城(岐阜県可児市)と生駒氏(愛知県江南市)は、
                  県が違うので、遠そうな気がするが、直線で十数kmの
                  距離である。意外と近いのである。
                  土田氏が明智氏の家臣であったならば、この距離が示
                  すように、明智氏と織田氏は、信長以前から親密な関係
                  があったかもしれませんね。


                           蜂須賀氏
                 小折の生駒家の近くに蜂須賀家屋敷がある。

                           蜂須賀家屋敷跡
                
                       
愛知県江南市宮後町


                  関ヶ原の戦いの時、生駒家と蜂須賀家は似たような
                  行動をとっているのである。

                  1585年、蜂須賀小六の嫡子・家正、徳島城主(17万
                  石)となり、以後徳島城主として明治に至っているが、
                  興味深いことがある。

                  関ヶ原になって、家政は阿波一国を豊臣家に返上し、
                  高野山にのぼり、子・至鎮は東軍に参加するのであ
                  る。戦後、至鎮にあらためて、阿波一国が与えられて
                  いる。




                 久菴桂昌尼公三百回忌法会執行知らせにつき書状
                                         (下書き)
                  

                   桂昌尼公三百回忌法会執行通知につき返状
                  
                           江南市歴史民族資料館

                  吉乃の三百回忌は幕末の1865年、生駒周行が久昌
                  寺で営んだ。
                  現在、江南市歴史民俗資料館にて吉乃の三百回忌
                  法要を開いたときの、信長を祖にする柏原藩(現在の
                  兵庫県)藩主・織田信民に法要を知らせた文書等が
                  紹介されている。(H19.4.8まで)
                  吉乃が三百年を経ても両家にとって大きな存在であ
                  ったことが分かる。


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