継体天皇


継体天皇像と山頂古墳

福井市

継体天皇は、6世紀前半に在位し、名は男大迹と
いう。日本書紀によると応神天皇五世の孫として
天皇に擁立された。父は、近江(滋賀県)の豪族
彦主人王、母は越前(福井県)の豪族の娘振姫
とされ、父の死後は越前で育ったといわれる。福井
には、継体天皇による九頭竜川の治水、笏谷石
採掘等の伝説が数多く残されている。この石像の
立つ三段広場と呼ばれる小丘「筒は、実は直径
60m、高さ10mを測る、4世紀に造られた古墳である。
公園を造るときその形を大きく削られてしまい、本来
の古墳としての形を留めていないが、円墳としては、
福井県内最大級の山頂古墳と呼ばれる。




春日井市(ハニワの館にて)

地方豪族が擁立した天皇
継体は越前・近江・河内・美濃・尾張などの地方
豪族に擁立され、近江あるいは越前から大和入り
し、新王朝を開いた天皇であるとする見方が有力
である。その際、尾張氏の果たした役割が特に
大きかったとされるのは、8人の妃の中で尾張
連草香の娘「目子媛」(めのこひめ)が「元(はじめ)
の妃」とされ、生れた子が安閑(あんかん)、宣化
(せんか)と、いずれも天皇になっていることによる。
一地方豪族であった尾張氏がこれを契機として宮廷
内に力を得、日本書紀の氏族系譜の中に尾張氏
の影を色濃く残すことになったとする説がある。





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