加藤清正・加藤忠広


加藤清正出生地
加藤清正出生地(妙行寺)
名古屋市中村区(妙行寺)

加藤清正

豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いで七本槍で有名。

1588年肥後熊本城主。文禄・慶長の役に出陣。
秀吉の死後、石田三成との対立から、1600年 
関ヶ原の戦いでは、徳川家康につく。

1611年清正急死後、忠広(清正の三男)が家督をつぐ。

忠広幼少のため、徳川幕府の監視下へ。
1632年陰謀の疑いで肥後国没収。
この難局を処理したのが稲葉正勝
(父・稲葉正成、母・春日局)である。

天照寺

高山市



元和4年(1618)越後少将高田城主松平忠輝(家康の六男)は、
高山城主三代金森重頼にあずけられ、当寺に8年間居住し、
寛永3年信州諏訪へ去られた。また、寛永9年(1632)には同様に
肥後熊本城主加藤清正の孫光正が、当 寺に閉居されたが翌年
死去された。高貴の流人が二人も住んだ寺は飛騨では他にない。


1619年には福島正則が安芸広島城
修築をとがめられ所領没収になっている。

豊臣恩顧の大名は消え行くさだめなのだろうか。




七本槍の勇士
七本槍の勇士
滋賀県伊香郡木之本町


清正石

名古屋城
清正石
この石は加藤清正が運んできたといわれてきた
が、この石塁は黒田長政の丁場であったので、
「清正石」というのは、単なる伝説であろう。


加藤清正邸跡

東京都千代田区永田町



江戸の名水「櫻の井」
「櫻の井」は名水井戸として知られた「江戸の名所」
で、近江藩主井伊家上屋敷の表門外西側にあったが、
ここは加藤清正邸跡で清正が掘ったと伝えられている。



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