春日局にまつわる人々
父、斎藤利三。
斎藤利三屋敷跡
岐阜県大垣市曽根町1丁目(曽根城公園)
斉藤利三の妹は、長宗我部元親の妻である。
叔父、明智光秀。
明智光秀像
滋賀県大津市下坂本3
稲葉正成。
正室:稲葉重通の娘。
継室:春日局(稲葉重通の養女、斎藤利産の娘)
稲葉正成屋敷跡
安八郡安八町森部・金峯神社
稲葉重通
清水城跡
岐阜県揖斐郡揖斐川町清水(清水小学校内)
清水城平面図
延文元年(1536)林七郎左衛門通兼が清水山に城を
築いた。その二百年後、弘治三年(1557)一鉄(良通)
が、この城を攻め落とし、城の石垣をこわし、ここに平地
の城として、内堀外堀をめぐらし、立派な城を築き、天正
七年より、一鉄、重通、通重の三代、二十八年の居城。
稲葉正勝
子。小田原藩主。
小田原城
神奈川県小田原市城内
堀田正俊
養子。江戸幕府の老中、大老。
牧村利貞
稲葉重通の子。
牧村城址
山内一豊ゆかりの牧村城址
牧村城
16世紀の戦国時代、当地の小城あり、牧村牛之助政倫
(斉藤竜興の家臣)が居城していました。のちに政倫は、
牧村兵部利貞(利休七哲の一人)を継嗣にしました。
城址は、古記録に「村南にあり」とされており、この
付近と推測されます。
祖心尼
牧村利貞の子。
済松寺
新宿区榎町
平岡頼勝
稲葉正成と共に小早川秀秋付の家老となる。
禅台寺
可児市下恵土
ここ禅台寺境内の一角に石見守勝頼の葬られた墓がある。
平岡石見守頼勝は、父(溝杭頼俊)とともに諸国を流浪し、
小早川秀秋に仕えてその家老となる。関ヶ原合戦のとき、
頼勝は黒田如水(官兵衛)の娘を妻としていたので、
如水の子長政と謀り、西軍に属していた秀秋を東軍に内通させた。
秀秋は、西軍として松尾山に陣した。正午頃になっても戦いは
勝負がつかなかったため、東軍が秀秋陣に対し銃撃をして
西軍を攻めるように促した。これにより秀秋は、西軍の陣へ
突入し、東軍の大勝利となった。戦後の論功行賞により、
頼勝は、秀秋により2万ん石(備前小島)を与えられた。
まもなく讒言にあって、再び流浪の身となったが、徳川家康は、
その前功を認めて、慶長9年(1604)8月晦日、美濃国内の可児郡など
1万270石余りを与え、頼勝は、徳野村に屋敷を構えて住んだ。
慶長12年(1607)48歳で死去し、禅台寺に葬られた。
看板では、頼勝は黒田如水(官兵衛)の娘を妻と
するとあるが、黒田如水(官兵衛)の姪のようだ。
徳川家光
松平八代徳川歴代将軍位牌堂
岡崎市鴨田町・大樹寺
歴代将軍の等身大の位牌がある。
徳川歴代将軍
出生〜死亡 年 位牌高さ
初代 家康 1542〜1616 75 159.0cm
2代 秀忠 1579〜1632 54 160.0cm
3代 家光 1604〜1651 48 157.0cm
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