軽海西城
円長寺
岐阜県本巣
軽海西城址
軽海西城は、古記録によれば加留美郷旧館の地と
いわれるが、創建の時代は明らかでない。土岐氏の
時代に至って稲葉氏が、数代居住し、その後、西村
勘九郎(のちの斎藤道三)が居城したと伝えられる。
永禄年間池田勝入の家臣片桐半右衛門が要害を構
えて住んだというが永禄4年(1561)軽海合戦の折、
重要な役割を果たしたものと推定される。天正17年
(1589)一柳伊豆守直末が6万石を領し、この地を支
配した。直末は豊臣氏に従い小田原合戦に加わって
伊豆山で戦死した。のち後裔が菩提を弔って建てた
のが円長寺であるといわれる。この寺域を軽海城址と
推定し、昭和54年4月15日町の四関として指定された。
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