兼松正吉


兼松屋敷跡

一宮市島村字上深田

兼松正吉の屋敷とされる。兼松氏は越前国足羽郡
兼松村の出、後に尾張国葉栗郡嶋村に移住。
1542年、兼松秀清の子として正吉生まれる。

兼松正吉墓碑

一宮市島村字花ノ木・東林禅寺



若栗神社八幡宮

一宮市島村字南裏山

若栗神社八幡宮
白鳳年間(7世紀後半)、この地域の有力者葉栗臣人麿
の創建と伝わる。乱世に衰廃したのを慶長10年(1605)
兼松正吉が再興し、若栗天神に八幡宮を合祀したと伝わる。

天文11年(1542)、正吉は島村(一宮市島村)に生れた。
織田信長に仕え、桶狭間での初陣以来、幾多の戦いに
加わり武功を重ねた。信長が死ぬと二男信雄に仕え、
信雄が失脚すると、尾張に封じられた羽柴秀次に従った。
秀吉死後は家康に仕えた。その後の尾張で家康の
四男松平忠吉に仕え、忠吉死後は、尾張藩祖徳川
義直に仕えた。寛永4年(1627)没。享年86歳。

政秀寺

名古屋市中区



墓所は平手政秀の菩提寺でもある政秀寺。

一宮市木曽川資料館



一宮市木曽川町黒田

旧兼松家武家屋敷門



名古屋市千種区・東山動植物園内

この門は、もと石神堂筋(現、東区筒井二丁目)に
あった尾張藩士兼松家の長屋門である。昭和42年、
現在地に移転復元した。寄棟造、桟瓦葺。中央に
部屋があり、出格子窓と武者窓が設けてある。
建築年代は江戸末期と思われ、武家屋敷門とし
ては比較的格式の高い部類に属する。毎年正月
には兼松家の習慣を受け継ぎ、葦の門松を立て
ている。兼松家の祖、正吉は、信長・秀吉・家康
に仕え、晩年には尾張藩に仕えた武将である。


戻る