金森長近
高山市
小倉山城
美濃市
小倉山城と小倉公園
小倉公園は、金森長近の築いた小倉山城跡に、
明治27年(1894)公園として開放されました。
金森長近は、戦国時代、織田信長・豊臣秀吉・
徳川家康の三英傑に仕え、遂に飛騨の国主大名
となり、高山城を築いた武将で、関ヶ原戦の軍功
により、この地方武儀郡を加封され、美濃国に
進出すると、ここを本拠地として慶長11年(1606)
小倉山城を築きました。前面の石垣は、築城
当時のままで約400年間の風雪に耐えた史跡
で、上段が本丸・下段が二の丸、この西が三の
丸でした。長近の死後、二代城主・長光が幼死
したので、後嗣なく断絶、城は破却された。
小倉山のいわれ
関ヶ原の戦いで戦功のあった金森長近は、徳川
家康から、「上有知」をもらいました。新領地に来た
長近公は、それまでの鉈尾山にあった城を廃し、
この尾崎丸山に築城を決意。風流を愛し、茶を嗜
んだ文化人長近公は、山名を「小倉山」と改める
とともに、城名を小倉山城(1606)とし、山麓一帯に
新しい上有知の町を造る。小倉山は、京都嵯峨野に
ある四季の風光の美しい名勝地・小倉山に由来する。
長近の松
上有知湊跡
慶長6年(1601)金森長近が領主となり、小倉山城を
築き、城下町上有知をつくりました。その繁栄策とし
て、ここに上有知川湊を開き、番船40艘をおき、物資
交流の要地としました。その後、江戸時代は美濃国
四大川湊の一つとして明治末年電車が開通するまで
水運の要点でした。この住吉灯台は水の守護神、
住吉神社の献灯を兼ねて江戸末期に建てられ、
夜毎川面を照らしていました。川湊の灯台として現存
する全国的にも珍しい貴重な建造物であります。
清泰寺
美濃市
金森長近公と清泰寺
此の寺内社は金森大権現と称し金森法印長近公を
祀ったもの。金森長近公は典型的戦国武将で一介
の武士から遂に飛騨国主となった人物。慶長5年
(1600)関ヶ原の功によって更に鉈尾山城佐藤氏
の領地武儀郡(二万石)を加封され小倉山城を築き
城下町上有知(こうずち)をつくりました。その時、
以安寺(佐藤氏菩提寺)を廃し此地に清泰寺を創建
して菩提寺としました。慶長13年長近公逝去、その霊
を此所に祀ったもので江戸時代には南面して規模の
大きい社でした。小倉山城金森氏二代長光の幼死に
より断絶。その墓が本堂西側墓地にあり、鉈尾山城主
佐藤氏二代の墓も以安全寺より移されて同所にある。
金森家の菩提寺
金森五郎長近
織田信長の下臣であり大野主(福井県大野市)であ
った。勝家に付属し、この地で従軍したが戦場離脱。
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